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#002 福島の発掘現場から ~震災と復興調査~ 岡村勝行

岡村勝行氏……公益財団法人大阪市博物館協会大阪文化財研究所学芸員
平成25年4月1日から平成26年3月31日まで福島県文化振興財団遺跡調査部に出向し、主に一般国道115 号相馬福島道路の霊山道路部分(伊達市・相馬市所在)の遺跡の本調査を担当した。

【復興調査とは】
 1995年の阪神淡路大震災の時に初めて行われた、復興事業に伴う遺跡の発掘調査のことで、この時、全国から多くの職員が兵庫県に派遣されました。今回の震災では2012年度から職員派遣が始まり、昨年度は60名以上の考古学者が東北三県の沿岸部を中心に、住宅や道路、鉄道などの復旧・復興の事前調査に当たりました。福島県への派遣は15名で、遠くは沖縄からも来られています。

 私は(公財)福島県文化振興財団遺跡調査部へ出向し、福島市(中通り)と相馬市(浜通り)を結ぶ高速道路(東西約45㎞)の建設に伴う、2つの発掘調査(行(ゆき)合(あい)道(どう)B遺跡、東羽黒平(ひがしはぐろだいら)遺跡)に携わりました。福島県の浜通りでは津波に加え、福島第一原子力発電所の事故による警戒区域の設定により、沿岸部の道路、鉄道が分断されたため、東西道路がこれまで以上に重要な役割を担っています。

【遺跡・発掘調査の概要】
 行合道B遺跡は伊達市の霊峰霊山(りょうぜん)の南麓にあり、標高420mの山の斜面に立地します。霊山は平安時代初期に円仁によって開かれた天台宗の拠点で、また南北朝時代には北畠顕家が城を興して、陸奥国府と定めるなど、歴史の表舞台に登場します。

 同遺跡では平安時代(9世紀末頃)の竪穴住居跡1軒、中世末~近世初頭頃の木炭窯跡4基などが見つかりました(写真1)。

木炭窯の調査

木炭窯の調査/行合道B遺跡

(写真1)

 木炭窯は平面形が一辺2~3mの楕円形で、深さは1.0~1.5mあり、地下式の構造をしています(写真2)。

木炭窯

木炭窯/行合道B遺跡

(写真2)

 天井部は失われていたものの、壁体、煙出しの石組みなど、よく保存されていました。遺物はまったく出土せず、既知の近世~近代の窯とも形、特徴が異なっています。調査中は謎でしたが、炭素14年代測定では、16世紀中頃~17世紀前半が示され、これまで空隙であった時期の窯である可能性が高まりました。

 古くは7世紀後半に遡る木炭窯は、製鉄炉、鍛治工房跡とともに、一大製鉄地帯である東北地域の山間部でよく発見されます。川や海浜から採取した砂鉄から鉄を作る、たたらには大量の木炭が必要であり、今回の窯もその目的で築かれたものと考えられます。

 この調査の終了後、東へ20㎞ほど移動し、相馬市にある東羽黒平遺跡で、12月末まで調査を行いました。ここでは縄文時代後期初頭(約4,000年前)のゴミ捨て場(写真3)や埋設土器(写真4)が検出され、多くの縄文土器とともに石鏃・石斧などの石器、土偶(写真5)や腕飾りなどの土製品が発見されました。住居跡などは見つからず、調査地点はこの時代の集落の縁辺に当たっていたようです。

縄文時代のごみ捨て場

縄文時代のごみ捨て場/東羽黒平遺跡

(写真3)


幼児の墓と言われる埋設土器

幼児の墓と言われる埋設土器/東羽黒平遺跡

(写真4)


出土したハート型土偶

出土したハート型土偶/東羽黒平遺跡

(写真5)

 以上の2つの遺跡は、今回初めて調査され、地域の歴史復元をすすめる大きな成果となりました。

【福島と大阪】
 福島の財団の復興調査には、大阪市のほか、東京都、栃木県、山形県から職員が派遣され、現地の担当者とタッグを組みます。調査の進め方は大阪とほとんど変わらないのですが、鎌を使って地層を削る方法は初めてでした。遺物は何もかも新鮮です。大阪では縄文がしっかりと施され、装飾豊かな土器や土偶、石棒などを発掘する機会はまったくありません。ところ変われば、品変わる。列島には昔から多様な文化があり、現在に継承されていることを実感できました。

 当然ながら、景観はまったく違いました。縄文時代、平安時代の遺跡を残した人々が見たであろう風景、世界とほぼ同じ姿を現在も体感することができます。福島には伝統的に考古学少年、アマチュア考古学者が多いのですが、こうした環境が大きな影響を与えていることでしょう。千数百年にわたって繰り返された開発の歴史、ビルが林立した中で行う調査は、大阪ならではですが、全国的にみれば、このような都市の考古学のあり方は特殊な例と言えるのでしょう。

 福島は地震・津波被害に加え、原発事故による放射線により、今も十数万人が地元を離れて生活されています。職員、作業員さんにも避難者がおられ、当時の状況、今の生活について、よくお話を伺いました。世界的にもまれな厳しい事態を前に人類の知恵が試されているとも感じました。

 福島への派遣は今年度も続き、現在、小倉徹也学芸員が南相馬市で調査を行っています。一年間の経験を活かし、これからも福島と大阪をつなぐお手伝いができれば、と願っています。

  【岡村勝行(おかむら かつゆき)・研究所学芸員】

        
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