トップページへ 組織概要へ 発掘調査情報へ 埋文トピックスへ 調査研究コラムへ
 
 トップページ > 遺跡調査部のご紹介(リレー・ブログ) > #084 備えあれば… (2016.12.8)

 
遺跡調査部の仕事
これまでの実績
職員紹介
リレー・ブログ
研修報告

#084 備えあれば… Hiデッタイト

 とある用務で今年11月に南国土佐の高知県に行った。

 その折、用務か終了したあと、高知県の文化財担当者の方々に震災碑をご案内いただいた。
 今回はその話を綴ってみる。

 その震災碑は高知県黒磯町の伊田海岸にある(写真)。
 震災碑の大きさは、高さ120㎝、幅110㎝、厚さ60㎝ほどで、コンクリートの台の上に載っている。

 碑には
 「すゞなみきたるときハ
  ふね十丁ばかりおきへ
  かけとめ申事甚よし」 と印され、
 さらにその脇には
 「安政元甲寅十一月四日すゞ
  なみ來同五日七ツ頃大ぢ
  しん大しお入浦一同リウ
  しつ是ゟさキ百四十年
  ゟ百五十年まで用心すべし
  為後丗 記之」
 と彫られている。

 碑を刻んだのは、松山寺に住む 文端 64才である。

写真1 高知県伊田海岸震災碑

 この碑文の内容は、
①津波(すずなみ)がきたら舟は十丁ほど(一丁は約109mなので、十丁で約1kmか)沖へ行くこと。②安政元年(1854年)十一月四日に津波がきた。
③翌十一月五日の七ツ頃(午後4時頃)には大地震が起きた。
④そして、大しお(津波)があり、浦の一切が流れてしまった。
という内容であり、最後に
⑤是より先140年から150年は用心しなさい。
と、今後の備えを説いている。

 このことは、逆に言うと140~150年おきに津波が来ることを知った上で、未来への注意喚起を促していたということを意味する。
 安政元年(安政元年1854年:ちなみにアメリカのペリー提督が浦賀水道に来たのは1853年)の震災は、安政の大地震と呼ばれることもある「安政伊賀地震・安政東海地震・安政南海地震・豊予海峡地震」という安政へ改元する前の嘉永7年に起きた地震である。

 地震は、7月9日(旧暦6月15日)に安政伊賀地震が起き、半年後の12月23日(旧暦11月4日)に安政東海地震、翌12月24日(旧暦11月5日)に安政南海地震、2日後の12月26日(旧暦11月7日)には豊予海峡地震が起きている。

 このため碑文にあった②十一月四日の津波は安政東海地震に起因するもので、③の翌十一月五日の大地震は安政南海地震を記載したものだとわかる。

 また、これより140~150年前の震災は、おそらく1707年(宝永4年)10月28日(旧暦10月4日)に発生した147年前の宝永地震を指している。宝永地震は、南海トラフのほぼ全域にわたって発生した地震である。当時の土佐藩(高知県)も被害にあい、5~6mほどの津波が来たという記録がある。

 このような過去の震災記録は、東日本大震災以後、各地域で注目されるようになった。高知県下には24もの地震・津波碑が確認されている(平成25年3月 岡豊風日(おこうふうじつ)第81号 (公財)高知県文化財団 高知県立歴史民俗資料館)。ただ、石碑があることはわかっていても、その「云われ」を理解し、地域の中で継続し、減災に向かって啓発していくことは大変なことだと思う。特に、私のように文化財に携わる者は、なおさらこの任を重く受け止めるべきだと思った。そして、江戸時代の方々ができたことを現在の私たちができないはずはないと、震災碑を見ながら痛感した次第である。

 なお、安政元年から150年後は2004年である。備えあれば憂いなしである。


 地震の予知って凄く難しいと思います。人類の終末予言と一緒で「来るくる」って時に来たためしはないし…。

 それこそ地球のプレートにたくさんのセンサーを打ち込んでおけば予測できるのかもしれませんが、おそらく費用的にペイしないでしょうし。

 いっそ、人間がMRIを撮るように、地殻内部をいっきにスキャンできればいいのに。何でも透過するニュートリノとか使って。

 それにしても、石碑の通りなら四国方面の地震は「いつ来てもおかしくない」ということなんですね。

 「備えあれば憂いなし」・「天災は忘れたころにやってくる」・・肝に銘じましょう。

  (管理人:葉羽)


        
このページのトップに戻る▲
 
遺跡調査部トップページへ  (C)The Culture Promotion Organization of Fukushima Prefecture
 All rights reserved.
サイトポリシー プライバシーポリシー サイトマップ ご意見