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 トップページ > 遺跡調査部のご紹介(リレー・ブログ) > #072 久慈川と鮫川 (2016.8.9)

 
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#072 久慈川と鮫川 青山 博樹

 気になる地名の第2弾です。

◆久慈川と鮫川
 福島県棚倉町の八溝山に源を発する久慈川は、南流して茨城県で太平洋に注ぐ、幹川延長124キロメートルの河川である。
 8世紀に編纂された『常陸国風土記』は、この久慈川が流れる久慈郡の名の由来について次のように記している。「古老の曰く、郡より南、近く小さき丘あり。体鯨鯢(くじら)に似たり。倭武(やまとたける)の天皇(すめらみこと)、因りて久慈と名づけたまひき」。すなわち「久慈」の名は、海に棲む「鯨」に由来するという。
 『風土記』は、奈良時代に編纂された各国の地誌で、地勢や耕地の良し悪し、古老の伝える昔話などが記されている。地名の由来も数多く述べられているものの、後からこじつけたような話が多い。当時においても地名の由来はほとんどわからなかったものらしい。久慈郡の名が鯨に由来するという話も、一見するとそのようなこじつけのようにもみえる。
 この久慈川の北、福島県浜通り南部に、「鮫川」という名の川がある。前出の棚倉町に隣接した鮫川村に流れを発し、阿武隈高地をおおよそ南東に向かって流れ下り、いわき市の菊多浜で太平洋に注ぐ。その源流は久慈川の上流域と指呼の間にあるといってよい。
 この隣りあう二つの河川に冠せられている「クジ」と「サメ」。『常陸国風土記』のいうように久慈川が「鯨」に由来するとすれば、鮫川とはその名のとおり「鮫」に由来するのであろうか。これら源流の間近な二つの河川に「鯨」と「鮫」という対偶的な名称がつけられているのは単なる偶然ではなく、何かしらのいわれがあるのではないだろうか。

久慈川と鮫川の位置 (google mapを改変)

◆鯨と鮫が登場する昔話
 青森県八戸市に、「八戸太郎」という鯨が主役の昔話がある。この話は、昔、毎年夏になると姿を現し豊漁をもたらす鯨がいて浜の守り神としてあがめられていたが、この鯨がお伊勢参りに行ったとき、熊野の漁師に銛で突かれ、やっとのことで八戸に帰ってきたものの「鮫浜(さめはま)」というところで力尽き、そのまま大きな岩になった、というものである。今でも八戸市の西宮神社には「鯨石(くじらいし)」という石が祀られている。
 この昔話で注意されるのは、石になった鯨のたどり着いた浜の名が「鮫浜」であるという点である。つまり、この話には鯨と鮫が登場している。ただし、鮫は地名としてのみで、両者がどのような関係をもつのかはいま一つはっきりとしない。
 これとよく似た話は岩手県にもある。昔々、南部の「鮫浦(さめうら)」で時化が続いて漁ができなかったとき、一人の若者が意を決して出漁し遭難しそうになったが、一頭の鯨に助けられた。若者はこの鯨に感謝し「鮫浦太郎」と名づけた、という話である。やはり、鯨と鮫が登場するものの、鮫は地名としてのみ現れる。
 鯨と鮫が登場し、なおかつ両者が主役を演じる話は、『壱岐国風土記』の逸文にみつけることができる。それは、鯨が鰐に追いかけられて川をさかのぼって隠れ伏し、そのまま石になった。それでその土地のことを鯨伏(いさふし)という。鰐も川をさかのぼって石となり、両者は一里をへだてたところにある、というものである。いさとはくじらの古語である。
 この話では、鯨と鰐が川をさかのぼり、両者とも石と化したことになっている。この場合の「鰐」とは鮫のことと思われ、鮫が鰐と呼ばれることがあったことがわかる。

◆ふたたび久慈川と鮫川
 『常陸国風土記』行方郡の条にも、鯨が腹ばい来て石になった話が語られている。このように、川をさかのぼる鯨や鮫(鰐)をモチーフとした説話は全国にみることができる。これらの説話に登場する鯨や鮫(鰐)は、川をさかのぼったり陸に上がったりし、しばしば石と化してしまう。こういった話はいささか現実離れしてはいるが、海岸に鯨が打ち上げられるという事件は現在もしばしば起こる。あるいはこのような事件が、これらの説話のモチーフになっているのかもしれない。
 くだんの鮫川にも、鮫が柿を食べに川をさかのぼってくる話や、鮫川や夏井川を渡ろうとした相馬の殿様を、川をさかのぼってきた鮫が襲うという昔話が伝わっている(ざっと昔を聞く会1986)。「サメ川」「サミ川」「サム川」という名で呼ばれる河川も多く、このような伝承がかつては広く語られていた痕跡とも思われる。
 以上のような伝承を勘案すると、福島県を流れる久慈川と鮫川にも同様の伝承があった、と考えられるのではないだろうか。『常陸国風土記』に記されている「久慈」の地名由来譚も、川をさかのぼって来た鯨が丘になったという結末を、言葉少なに述べようとしているのかもしれない。いずれにしても、鯨と鮫(鰐)にまつわるこのような説話は、古代から日本列島に広く語られていたのではないかと思われる。
 残念ながら『陸奥国風土記』の大部分は散逸し、そこにどのような言い伝えが語られていたのかはわからない。だが、そこに久慈川と鮫川の地名起源説話が語られていた、と想像してみるのも、あながち荒唐無稽なことではないように思われる。

註)日本の古典の中にしばしば登場する「鰐」が、いったいどの動物を指しているかについてはさまざまな意見がある。鮫や海蛇ではないかとされる場合が多い。「ワニの語はアニ又はオニなどとも同じ語で、畏敬すべきものの汎称である」という意見がもっとも的をえているように思われる。この場合は鮫と考えて差し支えないものと思われる。柳田國男1970「古伝説の和邇」『定本柳田國男集』第30巻 370~371頁 筑摩書房)

【引用・参考文献】
・「鮫の松川さま」『なこその民話』
・ざっと昔を聞く会 1986 『東白川のざっと昔』ふるさと企画 

 

さて何とコメントしようかなクジラにワニにサメか…うーん、むずかしい。

そもそも川の名前というものは、古事記や日本書紀の記述に由来するものも多いようです。(たとえば、北上川の語源…日高見国(日本書紀)のように。)

それともう一つは、アイヌ語に由来するもの。北海道の石狩川がアイヌ語で「曲がりくねった川」を意味する「イ・シカラ・ペツ」に由来するのは当然として、関東地方を流れる利根川にはアイヌ語で大きな谷を意味する「トンナイ」 が語源であるという説があります。

関東まではまあ分からないでもないですが、四国の四万十川がアイヌ語で「たいへん美しい川」を意味する「シ・マムタ」から命名されたとする説もあり、この辺りまで来ると大和朝廷の西方なわけですから『アイヌ、凄げぇ!恐るべしっ!!』ということになります。(いずれも諸説あり。)

もしかすると、久慈川や鮫川というのも、よく調べてみればアイヌとの関わりが……?

……ないか、やっぱし(笑) (管理人:葉羽)


        
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