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 トップページ > 遺跡調査部のご紹介(リレー・ブログ) > #016 竪穴住居と炉~レオパレス生活から (2014.10.3)

 
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#016 竪穴住居跡と炉~レオパレス生活から  およよ

 レオパレス生活をはじめて、六か月余りたつ。単身赴任生活である。

 この半年を振り返ってみよう。

 3月末、前任者の使用していた部屋をそのまま引き継いだ。

 掃除機やCDプレーヤーをはじめ、大きなものは羽毛布団から、小物は卓上のコースター、ミニベジのカボチャの置物まで、多くの生活必需製品を残してくれた。

 おかげで、3月末から4月初頭の新生活買出し騒動も、大変なことにならずにすんだ。部屋もきれいに使っていたので、こちらが手を出すことはほとんどなかったと言える。

 4月は研修期間のため、毎日新しい職場とレオパレスの往復生活が始まった。自転車通勤も開始した。自転車通勤は50数年で初めて経験だ。

 さて、レオパレス生活を始めて最初の違和感は、外の物干しであった。

 最初の頃は、何も考えずに窓外に洗濯物をぶらぶら干していたのだが、よく見ると洗濯物を干している部屋がほとんどない。

 レオパレスの説明書には洗濯物を外へ干していけないとは書いていない。ということは、みな部屋干しをしているようだ。

 そういえば、前任者の残してくれた洗剤も「部屋干しタイプ」であった。

 居住者の皆さんは、レオパレス各部屋に備え付けの洗濯機についている乾燥機能や、浴室の乾燥機能を併用しているのか。

 加えての違和感は、居住者にほとんど会わないことである。

 4月の研修期間中では、朝方、何人かと挨拶した記憶がある。 5月以降、平日は相馬市や南相馬市のビジネスホテルでの泊まり込み仕事が始まった。

 週末にしか福島市内のレオパレスに戻らないためかもしれないが、とにかくどんな人が住んでいるかもわからず、今までに挨拶かわした人を合計しても片手にも満たない。駐車場の車は多いのだが・・・。

 約35年前に東京のアパート生活をはじめたときは、どの部屋にどんなひとが住んでいるかは大体わかっていたが、今回はまったくわからない。

 各部屋に表札等も何もなく、ただ部屋番号があるだけで、何か殺風景だ。それでも、部屋の両隣に居住者がいることは、比較的薄めの壁越しに伝わる生活音や床の振動でよくわかる。

 部屋の造りは、平日に利用する相馬のビジネスホテルの方がまだましな気がする。ということは、こちらの生活も両隣や階下に響いているということだ。

 少し遠慮しないと、と思ってハタと気が付いた。隣人たちは皆、レオパレス生活で遠慮や配慮をしていたのだ。

 何も考えず、「バタン」や「ドスン」の音や振動、「ピピピ」の電子音から、「んが~」の鼾を出していた当方は、うるさい「おっさん」と思われているかもしれない。

 前任者との引継ぎの際に、水回りがとにかく悪いといわれていた。この点は6か月たってもどうしようもない。

 風呂の排水の勾配がゆるいために、水切れが悪いのである。しかしこれは我慢するしかない。

 もう一つはゴミ出しである。

 今までゴミ出しは主体的にやったことがなく、家人に言いつけられて、指定場所などに出していた。

 曜日や時間など考えたことがなかった。ましてや、第1と第3の水曜日などと指定されていても、まったく気にしたこともなかった。それでも4月のうちは何とか対応してきた。

 ところが5月以降、週末にしかレオパレスに戻らなくなると、もはや対応できなくなった。よく考えたら、ゴミを出すチャンスは月曜日の朝しかないのである。

 いくらレオパレス生活でこまめに分別しても、指定日にはレオパレスにいないことがほとんどなのである。

 したがって、燃えるゴミも、ペットボトルも、缶(ビール)、ビンもみんな、月曜日の朝に出さざるをえないのである。

 朝、専用のごみ容器の中に、少しは申し訳なさそうに、こっちの隅とあっちの隅と手前とにゴミごとに位置を変えて置いて、回収業者さん「ゴメンナサイ」とつぶやきながら、ゴミ容器の蓋を閉める毎日である。

(最近は少し知恵がついてきて、終末に大量に発生するビールカンなどは、近くのスーパーヨークベニマルに持っていくことも)

 台所の狭さと、縦並び二口電気コンロの使い勝手の悪さも未だに慣れない点で、当分まともな調理をしそうもない。 さてさて、なかなか本題に近づかない。

 当方、現在竪穴住居跡の炉について調べている。

 弥生時代の竪穴住居跡の炉については、論文としてまとまった研究はほんのわずかしかない。

 しかし、遺跡の調査では竪穴住居跡の発掘資料が多いだけに、発掘調査報告書の「まとめ」の部分では、短文ながら竪穴住居跡の炉について、あちこちで興味深い所見が書かれている。

 当方構想中の炉の考察、その結論はすでに決まっており、「弥生時代の竪穴住居の中をのぞいて、とくにその炉を見れば、ここに生活する人はどこの出(出身)かわかる」というものである。

 現在東京都西部に位置する多摩地域の弥生時代の炉を集成中であるが、この地域の炉はバリエーションに富んでいる。

 東日本の弥生時代の竪穴住居の炉は、一般的には地床炉と呼ばれる、竪穴住居の床面がわずかに窪み、赤く焼けた土が残されているだけの単純な炉が多いとイメージされる。

 しかし、八王子盆地を中心とした多摩地域ではこれだけではなく、下に示すような幾種類もの炉がみつかっている。こうした炉の形態が豊かなのは、現在の長野県や山梨県などに特徴的な点である。

 八王子市域は上記地域ほどではないにしろ、中にはこの地域にしか見つかっていない特異な炉もある。それは石床炉である。

 石床炉とは、炉の燃焼部に縄文時代の石皿状の平板な石を置き、その上で火を焚き調理をするというものである。当時の生活面である土間の床面より、火床面が高い場合が多い。

 また石が被熱で赤く焼け、ひび割れたり、ぼろぼろになったものも少なくない。八王子タイプとでもいうべき特異な炉である。

 それでは、この石床炉が卓越するかというとそうでもないようだ。先の地床炉に石床炉、さらに粘土床炉というものもある。これは粘土を円板状に敷いてその上で火を焚くものである。

 図に示したものは、炉の床の構造に、さらに炉に添えるものとして石や土器や粘土を加えている。

 炉の脇に枕石や炉縁石とよばれる石が添えられる(埋設)ことがある。石の内側(燃焼側)が焼けていることが多い。

 これは燃焼効率のため、防火のためとも、打痕があることから炉部の調理台との説もある。

 この石の代わりに、土器片を埋設したり、粘土を枕状に盛り上げたりする例もあり、炉の底面の構造と炉脇に添える素材との組み合わせで、幾通りもの炉のバリエーションが認められるのである。

 こうした、様々な構造の炉を持つ人々が混在しながら一つのムラを作っているというのが、多摩地域の弥生時代の集落の特徴である。

 例えば、山梨県の弥生時代終末期から古墳時代前期にかけての炉を覗いてみると、地床炉であるが、その脇に土で低い土手を盛り上げる例が特徴的に認められる。

 石を添えるのではなく、炉を作るときに最初から炉の脇に低い土手を築いてしまうのである。山梨県の一部の地域の特徴である。

 こうした炉が隣接県の弥生時代終末期から古墳時代前期の竪穴住居跡に見つかれば、それは山梨県の出身者の炉であると推定できるのである。もちろん、土器をはじめ、住居跡の平面形や柱穴の配置なども参考にすべきであるが。逆に、石床炉が他の地域で見つかれば、それは八王子出身者の家と推定できるという考えである。

 現在、八王子市に特徴的な炉である石床炉は、北に隣接するあきる野市域で少数ながら見つかっている。そこには粘土床炉も地床炉も認められる。その出現は、八王子市域より土器の変遷で1~2段階ほど遅れる。

 このことは、八王子市域の人々があきる野市域に移住した可能性を示している。しかも、八王子市域で示していた集落内における竪穴住居の炉の組成の割合ともほぼ一致している。

 時期差のある分布や炉の割合からは、石床炉を使う少数のグループの八王子市域からあきる野市域単独移動ではなく、ムラをあげての移住が予想される。

 こうした事例をもとに積み上げていくと、東国における人々の出自や移住の動きが見えてくるのでは、というのが今回の考え方である。

 土器の研究ではすでに行われているものの、その内容をさらに検証するための工夫が求められている。その一つが炉ではないかと思っている。

 レオパレス生活の電気炉生活はなかなかなれないといった。筆者自身はガスレンジ生活になれてしまったからだ。

 過去を考えてみると、小さいころ、千葉の実家は農家であった(今も)。

 やや薄暗い土間には、薪を使うカマドがあり、その他にイネの籾殻(スモと呼んでいた)を使いご飯を炊くスモ釜もあった。

 ガス台もあったが、ご飯を炊くのはもっぱら籾殻のスモ釜か薪釜であった。汁物やおかずなどにはガス台を使用していた。同時に石油コンロも使用していた。

 その後はご飯もガス窯で炊くようになった。電気釜の使用は下宿をするようになってからである。

 さて、現在当方のレオパレス生活を考古学者が覗いたとき、この研究者は私の出自の手掛かりをつかむことができるのであろうか。

 台所の鍋釜や容器にはメイドインジャパンのみではなく、コリア、チャイナ、タイなどの製品も多いことから、広くアジア人としかわからないのか。台所の中心の炉(コンロ)を見てどこの出身者と見るのでしょうか。

 千葉県出身で東京生活の長くなった当方を示すものは、福島県に移って生活をかまえるこのレオパレスのどこに見えるのか。

 それとも出自のにおいがしない生活空間こそが、外部から来たことを示す消極的な証拠なのかもしれない。あるいは、男性では表現できない、女性特有の雰囲気が台所にあるのだろうか。

 おッーと! 長々と書きながら、よく考えたら、レオパレスは竪穴住居跡ではなく高床住居跡であった!

 少し話に無理があったか・・・

 

 アパートの部屋に自分の前は誰が暮らしていたのか判る痕跡があったら、ちょっといやかも(笑)

  次回リレー・ブログはNKさんが執筆。間もなく掲載予定!(管理人:葉羽)

        
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