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 トップページ > 遺跡調査部のご紹介(リレー・ブログ) > #015 廃道逍遥 (2014.9.18)

 
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#015 廃道逍遥  菊田 順幸

 いつの頃からだろう?峠道のバイパスやトンネルを通るとき,必ずその手前の藪を観察するようになった。

 そのような「いい道」が昔からある筈がない。先人は,この峠道を苦労して開削し,改良して通りやすい道にしていったのである。

 それがある日,新道が開通すると,今まで使われた道は車通りがなくなり,急速に寂れていく。これが「廃道」である。

 現場への往復に,毎週「八木沢峠」を通っているが,ここにも「廃道」が存在する。今やすっかり藪に紛れ,その道筋をたどるのも困難だが,実は現道から旧道区間を眺められる場所があり,その急勾配は驚くばかりである。

 そんな八木沢峠も,数年後にはトンネルが開通し,現在の区間がやがて廃道となるのであろう。

 このような廃道の中で特筆すべきは,なんと言っても福島から米沢に抜ける「万世大路」(国道13号線・栗子峠)である。

二ツ小屋隧道入口

写真1 二ツ小屋隧道入口

この付近までは現在も車で通行ができる。
 右上には明治天皇がご休息なされたとの碑がある。

 この道の歴史を簡単に紹介しよう。

 福島から米沢方面に抜ける道は,国見から小坂峠を越える羽州街道が主要街道であった。また,福島の庭坂から板谷峠を越える米沢街道もあったが,栗子峠を越える道は獣道程度のものしかなかったようである。

 明治に入り,三島通庸が山形県令になると,福島と山形を結ぶ道を開削せよとの命に発令し,栗子峠に新道が開削された。

 栗子隧道の工事に当たり,当時世界で3台目となる米国式穿孔機が導入され,4年の歳月を掛けて完成した。

 完成まもなくこの道を明治天皇が行幸し,「萬世ノ永キニ渡リ人々ニ愛サレル道トナレ」という願いを込めて「萬世大路」と命名された。

二ツ小屋隧道入口

写真2 栗子隧道山形側

右が明治時代の坑口,左が昭和改修後の坑口
明治の坑口には鑿の跡が多数残っている。

 昭和に入り,車両が通過できる道にするため,昭和8年から峠道の線形改良や,隧道の拡張を行った。これにより,福島~米沢はようやく車両で通過できるようになった。

 隧道を拡張する際,資材を運ぶために,奥羽本線の峠駅から万世大路の途中まで,工事用軌道を開削したのだが,この痕跡が現在の西栗子トンネル福島口付近から辿ることが出来る。

 僅か4年の存在であったが,これも森の中に痕跡が残っている。

森の中に残る工事用軌道の痕跡

写真3 森の中に残る工事用軌道の痕跡

森の中に18段のヘアピンカーブを
築いて高度を稼ぎ,
トロッコを走らせていた。

 昭和の大改修後,無事バスやトラックも行き交う道になったとは言え,冬期間は大変積雪が多く,年間のうち5ヶ月は通行不能とあってはあまりに不便なため,昭和30年代に入り長大トンネルを用いて通年通行可能にする工事が始まり,昭和41年に東西栗子トンネルが開通して,万世大路の峠区間は用済みとなったのである。

 現在は落盤で閉塞してしまい,通り抜けはできない。

 そして現在,栗子隧道のほぼ真下に,全長9キロに及ぶ新栗子トンネルの工事が進んでおり,数年後には完成して福島米沢間は僅か20分で結ばれるようになるという。

新沢橋

写真4 東栗子トンネル福島側手前
1km付近に残る新沢橋

昭和10年ころの完成だが,
美しいコンクリートアーチ橋である。
現在の国道からも冬期間は見ることができる。

 廃道となってからおよそ半世紀が過ぎ,すっかり自然に帰った感じではあるが,その痕跡を辿ると随所に先人の苦労が忍ばれる。

 皆さんも峠道を通過するとき,ちょっとだけ旧道や廃道の事を思い出してみると,新道の利便性を改めて認識できるのではないだろうか?

 

 失われゆく道に先人の足跡と想いを辿る・・・まさに男のロマンでございますね♪
 次回リレー・ブログは、9月末に「O氏」が執筆予定!(管理人:葉羽)

        
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