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 トップページ > 遺跡調査部のご紹介(リレー・ブログ) > #128 ネコあれこれ(2019.05.22)

 
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#128 ネコあれこれ ここすけ

 このブログを書いているのは年末。この時期は何かと干支の話題になることも多いのでは?干支と言えば、小さいころ、疑問に思っていたことの一つに十二支になぜ「ネコ」がいないのか?小さいころから家でネコを飼っていてネコ好きだった私には???だった。子供のころは、昔話の「十二支のはなし」を読んだりテレビで観たりして妙に納得していた記憶がある。世界の十二支を見るとネコも含まれている国もあるようだ。ネコが十二支に入れない理由も知らずに、やれ干支に入れないのは「ネズミが悪い」とか「ネコが好きだ」とかと言っていた私は、某有名5歳児に「ボーッと生きてんじぇねーよ!」と叱られそうである。
 なので、今回のブログでは、最近ネコに関する資料を集めていたことでもあったので、「ネコ」に関することついて、とめどなく書いてみた。
ネコと言えば、最近のニュースでもエジプトのサッカラで紀元前2,000年頃の数十体のネコのミイラやブロンズ像1体などが見つかったとの報道があった。エジプトでは、ネコに関係する遺物の出土例は数多く、既に紀元前には信仰の対象となるほど身近な存在であったようである。

ネコのミイラ(MUMMY OF CAT)

ネコの像(SEATED CAT

 日本では、ネコは仏教とともに経典をネズミから守るため大陸から来たと考えられているが、長崎県壱岐市カラカミ遺跡からは、弥生時代後半頃のネコの骨が出土しており、既に弥生時代には日本にネコがいたことが明らかになった。このブログを書いているとき、ふと大学時代に貝塚から出土したネコに関係する文献があった記憶がよみがえり、昔の記憶を頼りに調べて見た。文献は、金子浩昌氏の『貝塚の獣骨の知識』だった。
 文献の内容を再確認すると「ネコ」は猫でも所謂「イエネコ」ではなく「オオヤマネコ」であった。なお、神奈川県横須賀市野島貝塚から小型のネコ(文献「野島貝塚出のネコ頭骨」では「ヤマネコ」と報告されている。)が出土しているが、時期は特定されていない。因みにカラカミ遺跡から出土した骨は「イエネコ」であり、現段階で日本最古の「イエネコ」である。 
 何となく「オオヤマネコ」のことも気になり、少し寄り道して「オオヤマネコ」について調べて見ると、「オオヤマネコ」は日本各地の縄文時代草創期~晩期の遺跡で出土しているようである。特に青森県東通村安部遺跡(尻労(しっかり)安部(あべ)洞窟(どうくつ))で「オオヤマネコ」の骨がまとまって出土している。東京都北区西ヶ原貝塚からは、勾玉に加工された「オオヤマネコ」の骨も確認されている。なお、「オオヤマネコ」については、群馬県立自然史博物館研究報告第15号に詳しくまとめられているので、興味がある方は是非ご覧いただきたい。

東京都北区西ヶ原貝塚出土
オオヤマネコ尺骨製勾玉
発見当時は、鹿の背骨製の朱塗り勾玉
として、発表されている。
後にオオヤマネコの尺骨と判明。
朱塗りは、ベンガラ。
図は発見当時大野太郎氏が実測したもの。
掲載した図は、以下の文献からの転載
宮沢甚三郎1896「人類学者の初陣」
『東京人類学雑誌第123号』

なお、西ヶ原貝塚遺跡調査団1986『西ヶ原貝塚』にオオヤマネコと特定された経緯や新たに実測された勾玉が掲載されている


 では、話を「イエネコ」に戻そう。「イエネコ」の存在を裏付けるのは、今までお話ししてきた遺跡から出土する「骨」だけではない。例えば、犯行現場に残る指紋や足跡などの痕跡が「犯人」を特定する証拠となる。その痕跡で古墳時代の終わりごろに「イエネコ」が存在していたことが証明された例が下の図面である。兵庫県姫路市見野6号墳出土の須恵器杯に残されていた足跡が調査の結果、「イエネコ」の特徴と一致したのだ。因みに下の写真は我が家の「イエネコ」の足跡である。

須恵器杯に残されたネコの足跡  
立命館大学文学部2011「姫路市見野古墳群発掘調査報告」
『立命館大学文学部学芸員家庭研究報告 第13冊』より転載



コンクリートに残された
我が家のイエネコの足跡

「イエネコ」については、遺跡から出土する骨や生活痕跡以外にも文献及び絵巻物などで存在や飼われ方など色々な情報を知り得ることができる。
 文献では、平安時代初期の仏教説話集『日本霊異記』上巻三十の猫(狸)の記載が最も古い「イエネコ」に関する記述と思われる。なお、このころは「イエネコ」は「猫」ではなく「狸」と記載されているようだ。
 我が家にある小学館『日本霊異記』にも「狸(ねこ)」とルビがふられている。古来中国では「狸(り)」と読まれ、字義が「イエネコ」や「ヤマネコ」それ以外の「ネコ」に似た動物の総称だったことに起因すると考えられる。我が家の角川書店『漢和中辞典』にも「狸」の字義の一つに「野猫」とあった。また、宇多天皇の日記『寛平御記』寛平元年二年六日条には「クロネコ」の記載が、平安時代末~鎌倉時代初期の『鳥獣戯画』甲巻第十五紙には「トラネコ」が描かれており、平安時代~鎌倉時代には「クロネコ」や「トラネコ」がいたことがわかる。
 この他、鎌倉時代末ごろの『石山寺縁起』に描かれている「トラネコ」を見ると紐につながれており、当時紐につないで「イエネコ」を飼っていたことがうかがい知れる。

河鍋暁斎粉本(※保護期間満了資料)


石山寺縁起(※保護期間満了資料)  
国立国会図書館デジタルコレクションより


 国立国会図書館デジタルコレクションより      
 ん、何やら足元から「ニャー」との鳴き声が。我が家の「イエネコ」が遊んでほしいとやってきた。まだブログの内容は鎌倉時代だが、頁もオーバー気味なので、「イエネコ」にPCを占領される前にPCを閉じて「イエネコ」と遊ぶこととしよう。
 あっ、そういえば日本の干支に猫がいない理由を書くのを忘れていた。十二支については、某5歳児の番組でも取り上げられていたが、十二支の始まりは中国の暦で、十二支の各文字については、本来は動物ではなく草木の成長過程を表したものだった。当時の中国で暦を覚えやすくするために親しみのある動物が十二支に割り当てられたためだったが、十二支になぜ「ネコ」がいないのかは、諸説あるようだ。

引用・参考文献 ※本文中に詳細を記載した文献は除く
長谷部言人1956「野島貝塚出土ネコの頭骨」『人類学雑誌65巻3号』
金子浩昌1984『貝塚の獣骨の知識』東京美術
金子浩昌・忍沢成視1986「骨角器の研究 縄文編Ⅱ」『考古学民俗叢書23』
西本豊弘・新美倫子編2010『人と動物の考古学』吉川弘文館
長谷川善和・金子浩昌・橘麻紀乃・田中源吾2011
「日本における後期更新世~前期完新世産のオオヤマネコLynxについて」『群馬県立自然史博物館研究報告第15号』
大石孝雄2013『ネコの動物学』
設楽博己編2015『十二支になった動物たちの考古学』新泉社
渋谷綾子・上奈穂美2016「国立歴史民俗博物館総合展示第1室(原始・古代)の新構築事業」
『国立歴史民俗博物館研究報告』第201集
武光誠2017『猫づくし日本史』
青森県埋蔵文化財センター2017『青森県埋蔵文化財発掘調査報告会』

        
 
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