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 トップページ > 遺跡調査部のご紹介(リレー・ブログ) > #105 路傍に佇む水文化 (2017.6.22)

 
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#105 路傍に佇む水文化 MY871

 数年前になりますが、実家周辺がgoogle mapのストリートビューに載りました。
 そこで地図を適当に眺めておりましたところ、大玉村のはずれに「長井坂円形分水」なる文字を発見。 円形(円筒)分水とは、水を一定の割合で分配するための施設らしく、検索をかけると熱心な方がその仕組みや各地の円筒分水を紹介されています(長井坂円形分水も、すでに何人かの方が取りあげておられます)。
 そんなものがあったのかと興味をそそられ、これを機に行ってみることにしました。

 さて、当円形分水は県道146号線沿い、大玉カントリークラブ入口を少し上ったあたりに所在するようです。しかし周囲は藪&森が広がるのみで、パッと見ではそれらしきものは見当たらず。そこで水の音を頼りに周囲を歩き回り、ガードレールから土手下をのぞき込むと…

おお・・ありました!
なかなか壮観です。
藪の中ですが、
ちゃんと手入れされています。
中央からは、上流の三森溜池から
流れ込んだ水が湧きだしています。



(道路からなんとか撮影)
流れ出た水は円の外周に沿って
2本の水路に集められ、
下流の水田へと至るのでしょう。
実に興味深い光景ですが、昼夜を問わず、誰も人が見ていない間にも
この光景が繰り返されているのかと
思うと、得も言われぬ
 気持ちになりました…。


 ところでこの円形分水は、はたしていつごろつくられたのでしょうか?
 その経緯が、『大玉村水利事業史』や、大玉村のホームページにまとめられていました。
 水田稲作を軸とする大玉村では、上流にあたる大山・玉井地区と、下流の本宮町との間に水争いが絶えなかったようです。
 そこで昭和5年(1930)に安達太良普通水利組合が結成され、国庫補助による県営農業水利事業として三ッ森溜池を構築したとあります。この溜池の水を分配する施設が、長井坂円形分水のようです。
 「福島県安達郡本宮町外一ヶ村農業水利改良事業概要」(昭和14年)には、日照りのときには三ッ森溜池の水を「導水路隧道出口長井坂分水装置ニテ安達太良川筋ヘ十一個八分、残量二十七個ヲ途中僅少宛分水シ百日川迄約一九〇〇間ノ区間ヲ導水路ニテ導キ、両河川ヲ通ジ灌漑水ヲ補給」するものと記されています(三村1999)。
 分水比率が一目瞭然である点が、円筒分水のミソとなるわけですね。

三森溜池
長井坂分水施設


三森溜池の作業風景

 『大玉村水利事業史』より引用。
 分水施設はよく見ると、ディテールが今とは少し異なるようです。

 私も上京するまでは大玉の米を食べていましたが、こうしたおいしい米の背景には、水利問題と向き合い、克服してきた人々の知恵と努力があったのですね…。
 それを伝える“生き証人”が、今もひっそりと道の傍らで水を湛え、大玉のうまい米を縁の下で支え続けていることを知りました。
この長井坂円形分水と三ッ森溜池は、「ふくしまの水文化」に選定されていました。
 “水文化”とは、「人々が水を上手に活用し、また、水を制する中で生み出されてきた有形・無形の文化や伝統」を指すとのこと。
 地域に根差した文化財を見つけると、地域への愛着も深まります。
 そんな発見を大切にしたいものです。

水田
(背後に、雲に霞む安達太良山を望む)


  なお、今回紹介した長井坂円形分水のほかにも、福島県内にはいくつかの円筒分水があるようです。
  これらについても、いずれめぐってみたいと思います。
  最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 三村達道1999『大玉村水利事業史』大玉村教育委員会
 三ツ森溜池-福島県大玉村ホームページ   
 https://www.vill.otama.fukushima.jp/kankou_shiseki/spot/shizen/mitsumoritameike/
 選定ふくしまの水文化-福島県ホームページ
 https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/11015c/mizu-bunka.html


 なるほどね。円形分水(円筒分水)の話だけではイマイチ理解できなかったのですが、Wikiを見たらこんな説明図が↓

※円筒分水平面図。 図の例では、(1)、(2)、(3) はそれぞれ 3:1:4 の割合で分配される。

 をを~これは分かりやすい! 確かにこれなら「取り決め比率」どおり正確に分配されていることが“目で見て”理解できますね。

 途中で事情に変更があれば、この「衝立て」の位置を変えればいいし。あったまいい~!

 いったい誰が凄い装置を考案したんだろう…と引き続きWikiを読んでいましたら、このタイプの分水装置が作られたのは1934年に福島県や長野県でとあります。しかも、長野県の分水装置は構造の違いから分水量に偏りが生じたと。(つまり福島版の方がスグレモノ。)

 ということは…MY871クンが見た円形分水装置こそが、まさにエポックメイキングとなったもの(の一つ。県内では他にも作られました。)なのですね。

 また一つ、郷土の誇りを手に入れたような気がいたします。 ←(今頃分かったのか) 

 (管理人:葉羽)


        
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