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 トップページ > 調査研究コラム > #072 いわき市番匠地遺跡出土の青磁琮形瓶(そうがたへい)について(2019.1.15)

 
 このコーナーでは、職員が行った調査研究の成果について掲載しています。

#072 いわき市番匠地遺跡出土の青磁琮形瓶(そうがたへい)について  佐藤 俊

1 はじめに
 いわき市考古資料館の見応えのある常設展示の「中世」のコーナーには、いわき市番匠地遺跡出土の「青磁琮形瓶」という遺物が展示してある(図1)。
 青磁琮形瓶は、旧大名家や往時の素封家が収集した逸品が展示されている著名な美術館で収蔵・展示されていることが多く、地元の遺跡から出土した遺物を収蔵展示する資料館で見る機会は、いわき市考古資料館以外ではほとんどない。本研究コラムでは、いわき市番匠地遺跡から出土した青磁琮形瓶の性格について探っていきたい。

図1
番匠地遺跡出土青磁琮形瓶


2 青磁琮形瓶
 青磁琮形瓶とは、古代中国で用いられた玉製の祭器を模した青磁の瓶である。体部は角柱状となり、四隅には細やかな隆帯が付されるのが特徴で、日本ではその器形から「算木手(さんぎて)」とも呼ばれている。その多くは往時の素封家によって所収されていたようで、徳川美術館の尾張徳川家や、東京国立博物館が所蔵する仙台伊達家伝来のものが好例と言えよう。天文二十三年(1554)の奥書がある「立花図巻」には花生として琮形瓶が絵入りで紹介されている(図2の左端)。
 その主な生産地は、南宋の龍泉窯(現在の中国浙江省杭州)とされ、その年代は瑞平三年(1236)が上限とされる中国四川省逐寧市金魚村窖蔵から出土していることから13世紀頃とされている(根津美術館学芸部編2010)。

図2
「立花図巻」に描かれた琮形瓶(左)
(根津美術館学芸部編2010より転載)


3 いわき市番匠地遺跡について
 番匠地遺跡は、福島県いわき市内郷御厩町番匠地地内に位置する。具体的には、いわき市立総合磐城共立病院の東側の周辺である。遺跡は標高70m以下の低丘陵に挟まれた沢地に立地している。道路工事に先立ち、昭和60年から平成元年の5年にかけて約18,000㎡(久世原館跡を含む)の発掘調査が行われ、弥生時代の水田や、古墳~平安時代の集落跡、中世城館跡がみつかっている。遺跡の性格について、中山雅弘氏の研究によれば隣接する久世原館跡(詰城)に対する居館と考えられているようである(中山1991)。
 青磁琮形瓶は、沢底の低地部分から出土している。報告書の遺物分布図(図3)をみると、概ね20mの範囲内から中世の陶磁器が集中するようで、青磁では琮形瓶をはじめ、皿や碗、古瀬戸では平碗、天目碗、折縁皿、花瓶、他にかわらけなどがまとまって出土している。青磁の琮形瓶の年代について、古瀬戸の碗類の編年を参考にすると14世紀中頃~15世紀前半頃と想定できる。

図3
遺跡分布図
(クリックで拡大)


4 国内遺跡出土の類例について
 青磁琮形瓶は戦国時代の城跡から確認されており、武田勝頼最後の居城である山梨県新府城跡や、伊那谷の国衆松岡氏の居城である長野県松岡城跡などから出土している(小野2003)。その他に江戸時代の藩邸跡からも確認されており、富山藩の江戸上屋敷とされる東京都の医学部付属病院看護師宿舎地点SK299からは、青磁琮形瓶のほか、舶載天目碗や青磁香炉、褐釉壺、ベトナム灰釉水指などの茶器が一括で出土している(堀内2012)。

5 まとめ
 青磁琮形瓶は、国内遺跡出土の類例や伝世品から考えると、①中世の国人領主クラス、②近世の藩主クラスの所有が想定できるようである。そもそも青磁琮形瓶は、「立花図巻」にみるように花生として使用していたと考えられる。青磁の花生は城館に関連する遺跡から多く出土しており、また中世の室礼(調度品などで室内を装飾すること)を記した文献からも座敷飾りとして使用されたと考えられている(小野2003)。つまり、青磁琮形瓶は権力者の威信財と評価できよう。

15世紀のいわき市周辺の支配関係を整理すると、いわき市北部の岩城氏が南部の岩崎氏を滅ぼし、近隣の国衆を従えた時期である。岩城氏の領土は拡大し、北方は楢葉郡の富岡周辺、南方は常陸国多珂郡にまで支配していたようである。その中でも番匠地遺跡は岩城氏の居城である大舘城に程近くに立地している。中山雅弘氏によれば、戦国時代における岩城氏の家臣配置について、大舘城周辺には一門や国人時代からのつながりをもつ人々を、その外圏に15・16世紀段階で家臣化した国衆、北方・南方の国境に一門を配置していたとしている(中山1991)。
中山氏や小野氏の論や番匠地遺跡の出土遺物の様相から勘案すると、番匠地遺跡は岩城氏の一門に近しい人物の居館と想定され、青磁琮形瓶は威信財として屋敷の床の間を飾っていたのであろう。
岩城氏の本拠とされる大舘城や白土城は、ほとんど発掘調査が実施されておらず、現在まで実態をうかがい知ることはできないが、今回紹介した番匠地遺跡の青磁琮形瓶の存在は、想像の範疇を超えた岩城氏繁栄の一端を示しているのかも知れない。

 

参考文献
いわき市教育委員会ほか1993『久世原館・番匠地遺跡』いわき市埋蔵文化財調査報告第33冊 いわき市教育委員会 財団法人いわき市教育文化事業団
小野正敏 2003「威信財としての貿易陶磁と場―戦国期東国を例に―」『戦国時代の考古学』高志書院
中山雅弘 1991「戦国大名の領国と城―岩城氏を例として―」『中世の城と考古学』新人物往来社
根津美術館学芸部編2010『南宋の青磁』根津美術館
堀内秀樹2012「蔵帳に書かれるもの、書かれないもの」『記録された貿易陶磁』第33回日本貿易陶磁研究集会



        
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