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 トップページ > 調査研究コラム > #065 東北地方・新潟県における石鍋について (2017.12.7)

 
 このコーナーでは、職員が行った調査研究の成果について掲載しています。

#065 東北地方・新潟県における石鍋について  佐藤 俊

1.はじめに
 古代や中世の遺跡を発掘調査した際の出土品の中に「石鍋」というものがあります(図1)。読者のみなさんがイメージする石鍋は、焼肉屋の石焼ビビンバやラーメン店の石焼チャーハンに用いられる容器だとおもいます(図2)。遺跡から出土する石鍋もその用途は現代と同様で、外面にみられるススや内面のコゲから煮炊きに用いられたと考えられています。

図1

遺跡から出土した滑石製石鍋

(松尾2017より転載)


図2

現代における石鍋の使用例

 

 石鍋の具体的な使用方法は古文書などの文献にも記載があります。久安二年(1146)に成立した『類聚雑要抄(るいじゅうざつようしょう)』には甘葛(あまくず)(甘味料のひとつで、練香(ねりこう)にも用いられる)を煎るのに石鍋が用いられたとされています。
 平安時代末期から鎌倉時代末期にかけての宮中の献立について記された『厨事類記(ほうじるいき)』には、石鍋が饗宴の際に食される「芋粥」を煮るのに用いられたとされています。松尾秀昭さんは文献上の記載から石鍋は、宮中や摂関家が饗宴の際に使用した煮炊具としています(松尾2017)。

 石鍋はどの地域でも作られたわけではなく、滑石が採取できる地域に限られます。現在までわかっている石鍋の生産地として、長崎県西海市の西彼杵(にしそのぎ)半島や山口県宇部市周辺が知られています。特に西彼杵半島は滑石鉱床が露頭しており、滑石を採取するのが容易なため、多くの石鍋製作遺跡が確認されています。中でもホゲット石鍋製作遺跡は素材の切り出しから製品にする過程が復元できる遺跡として有名で、その重要性から国指定史跡となっています。
 水野正好さんは滑石製石鍋が上述したように生産地が九州地方北部と中国地方一部地域に限定されることや、広島県の草戸千軒町遺跡などの消費遺跡で多量に出土していることから、石鍋を「中世流通世界を窺う適例」と考古資料的価値を高く評価しています(水野1986)。

 今回のコラムでは、東北地方と新潟県にスポットライトをあて、滑石製石鍋の地域における性格や、変遷などを探っていきたいとおもいます。

2.東北地方と新潟県から出土した石鍋について
 東北地方と新潟県で石鍋が出土した遺跡は管見で12遺跡を数えます(図3)。東北地方と新潟県を併せて12遺跡という数字はとても少ない印象があります。残念ながら福島県の遺跡からの出土はみられませんでした。
 太平洋側、日本海側の地域の区別はなく、海岸部に位置する遺跡から、内陸部の遺跡まで幅広く出土しているようです。また、遺跡が集中して分布することはないようです。
 遺跡の性格をみますと、地域の拠点となるような屋敷跡(館堀城跡、大楯遺跡、住吉遺跡、二ッ割遺跡、下沖北遺跡、台太郎遺跡)や、都市平泉(泉屋遺跡、志羅山遺跡)、津湊(十三湊遺跡)などが挙げられます。一般的な集落から出土せず、地域の流通拠点となる遺跡から比較的多くみられるようです。高橋学さんは館堀城跡出土の滑 石製石鍋を紹介する中で、東北地方における滑石製石鍋が物流の中継地・拠点としての性格を有する遺跡から出土するとしています(高橋2001)。
 東北地方でも滑石製石鍋の類例が増加した現在でも、高橋さんの研究成果と同じことが言えました。近年発掘調査が行われた、新潟県糸魚川市に位置する山岸遺跡では大型建物群、庭園跡が確認されていることや、多量の輸入陶磁器や大和産輪花火鉢など優品、北条氏一門の名越氏の「傘文」入りの銚子(図4)が出土していることから、名越氏に関連した居宅跡と考えられています(春日ほか2012)。この山岸遺跡からも滑石製石鍋が出土しています。
 出土した滑石製石鍋で口縁部が遺存している個体をみてみますと、すべてが鍔付型石鍋です(図3)。この鍔付型石鍋のかたちを木戸雅寿さんの編年案(木戸1993)にあてはめてみますとⅢa・b類となり、概ね12世紀から13世紀にかけて、平安時代末期から鎌倉時代にかけての年代が与えられます。

図4
山岸遺跡から出土した
「傘文」入の銚子柄
(春日ほか2012より転載)

 


図3
東北地方と新潟県の主な石鍋出土遺跡
(クリックで拡大)

3.まとめにかえて
 東北地方・新潟県における滑石製石鍋は平安末期から鎌倉時代の限られた時代に使用されており、出土する遺跡は西日本地域に比べて極めて少なく、地域の拠点となる場から多くみられるようです。
 ところで、都市鎌倉からは滑石製石鍋が多く出土することが知られています(河野2005)。東北地方・新潟県における滑石製石鍋は、出土が極めて少なく、出土分布に面的な疎密がみられないことや、鎌倉幕府と近しい北条氏一門名越氏の関連遺跡である山岸遺跡などから出土していることを考慮すると、地域の有力者が滑石製石鍋を使う鎌倉の生活様式や宴会儀礼を体現するため、一般の流通網(不特定多数の購買者を対象とした多量の国産陶器や輸入陶磁器など)とは別に、都市鎌倉から直接運び込んだことも想定できるのではないでしょうか。
 河野眞知郎さんは都市鎌倉遺跡群と関東・中部・東北各地の中世前期における出土遺物の質や量に歴然たる差があることから、西国からもたらされた莫大な器財や情報などは、都市鎌倉で集中的に消費・活用され、東日本地域には還元されていないこと指摘しています。この現象を河野さんは『鎌倉ブラックホール論』と呼んでいます(河野2005)。滑石製石鍋が、東日本地域の拠点となる遺跡から点々と出土するのは、都市鎌倉が吸い込んだ器財が吐き出されたまさに鎌倉ホワイトホールの一端を示しているのかも知れません。

引用参考文献
伊藤邦弘 1988 『大楯遺跡第一次発掘調査報告書』山形市 山形県教育委員会
財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 1997 『泉屋遺跡第10・11・13・15次発掘調査報
告書』
財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 2001 『台太郎遺跡第18次発掘調査報告書』
春日真実ほか 2012 『山岸遺跡 一般国道8号糸魚川バイパス関係発掘調査報告書/北陸新幹線関係発掘調査報告書Ⅷ/ⅩⅩⅡ』 新潟県教育委員会 財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団
河野眞知郎 2005 『中世都市鎌倉――遺跡が語る武家の都』講談社
木戸雅寿 1993 「石鍋の生産と流通について」『中近世土器の基礎研究』Ⅸ 日本中世土器研究会
高橋 学 2003 「滑石製石鍋と山茶碗―雄勝町館堀城跡出土の事例から―」『秋田県埋蔵文化財センター 研究紀要』第17号 秋田県埋蔵文化財センター
松尾秀昭 2017 『石鍋が語る中世 ホゲット石鍋製作遺跡』シリーズ「遺跡を学ぶ」122新泉社
水野正好 1986 「6 歴史時代」『岩波講座 日本考古学』別巻1 岩波書店
水戸部秀樹 2015 「八幡一遺跡」『年報 平成26年度』公益財団法人山形県埋蔵文化財センター
宮城県教育委員会 1991 『館南囲遺跡ほか』
羽柴直人 2000 『志羅山遺跡第46・66・74次発掘調査報告書』財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文
化財センター
高橋保ほか 2006 『住吉遺跡 日本海沿岸東北自動車道関係発掘調査報告書ⅩⅢ』 新潟県教育委員会 
財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団
宮内信雄ほか 2004 『二ッ割遺跡、中住吉遺跡発掘調査報告書Ⅱ 県営ほ場整備事業紫雲寺地区に伴う
発掘調査報告書』 紫雲寺町教育委員会
山形市教育委員会 2004 『双葉町遺跡発掘調査報告書』
山本肇ほか 2003 『下沖北遺跡Ⅰ 一般国道8号柏崎バイパス関係発掘調査報告書Ⅱ』新潟県教育委員
会 財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団

        
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