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 トップページ > 調査研究コラム > #055 文字資料2題―いわき市大猿田遺跡出土1号木簡と南相馬市大船迫A出土刻書土器について― (2017.4.11)

 
 このコーナーでは、職員が行った調査研究の成果について掲載しています。

#055 文字資料2題―いわき市大猿田遺跡出土1号木簡と南相馬市大船迫A出土刻書土器について―  吉野 滋夫

 今回は、私が携わった調査のなかで印象深かった出土遺物について、紹介したいと思います。


南相馬市大船迫A遺跡出土刻書土器
大船迫(おおふなさく)A遺跡は南相馬市原町区金沢にあり、太平洋沿いの低丘陵に位置しています。大船迫A遺跡は、金沢地区製鉄遺跡群に含まれる製鉄関連遺跡です。
大船迫A遺跡から出土した刻書土器(註1)は土師器の高台杯(1)で、その体部と底部の外面の2箇所に「今」が記されています。ただ、この土器の口縁部は欠損し、内外面はともに黒色です。
この「今」と書かれた遺物は、宮城県多賀城市多賀城跡・多賀城市山王遺跡、宮城県大崎市下伊場野窯跡群などから出土しています。多賀城跡は陸奥国の国府で、下伊場野窯跡群は多賀城の瓦を焼いていた場所です。
多賀城跡と下伊場野窯跡群から出土したのは平瓦(3~5)で、その凹面に「今」のヘラ書き(註2)がなされていました。このヘラ書きは瓦職人の集団を示す印ではないかと推測されています。
山王遺跡は多賀城跡に南接し、道路によって区画された町並みや、役人の住まいなどがみつかっています。山王遺跡から出土したのは土師器蓋(2)です。この蓋のツマミに「今」、内面に「山」と「行方」が刻書されていましたが、「行方」以下は残念ながら欠損しています。この蓋は、大船迫A遺跡の土器と同様に内外面ともに黒色です。ここで、着目できるのは「行方」の刻書です。大船迫A遺跡が所在する南相馬市は、古代においては陸奥国行方(なめかた)郡に属しています。
このことから、行方郡と国府の職人集団につながる資料と評価することができます。

1 大船迫A遺跡出土高台付杯

 

2 下伊場野窯跡群出土瓦            3・4 多賀城跡出土瓦

 

5 山王遺跡出土蓋

いわき市大猿田遺跡出土1号木簡
 大猿田(おおさんだ)遺跡はいわき市四倉町大野にあり、中島川により開析された谷底平野と丘陵部に位置しています。
 平成7・8年にかけて発掘調査が行われ、丘陵部では土器を焼き、谷底平野部では、木を加工していろいろな製品を作っていた場所であることが分かりました。
 大猿田遺跡からは木簡(註3)が10点出土しました。そのなかでも平成7年度の発掘調査で出土したのが1号木簡(6)です。この木簡が、遺跡調査課(平成7年当時)で初めての出土となったものです。
 この木簡は遺構外から出土したものですが、刃物で半分に裁断され、下端部が欠損しています。文字の記載は、表面が「判祀十六少丁一」、裏面は判読不明となっています。
 「判祀十六」の下は、2行に文字が記され、「少丁一」の右側の文字は裁断のため欠損しています。「判祀」については、いわき市小茶円遺跡から出土した木簡(7:註4)に「判祀郷」・「大同元年(806)」と記載されていますので、「判祀」は「判祀郷」となります。なお、「判祀郷」は『倭名類聚抄』(註5)の陸奥国磐城郡に記載のない郷名ですが、9世紀初頭には実在していた郷名となります。
 次に「少丁」は、17歳以上、20歳以下の男子のことで、兵役・課役の負担区分のために『大宝令』で制定されたものです。その後、天平宝宇元年(757)『養老令』施行により「少丁」から「中男」の語が用いられるようになります(註6)。しかし、延喜2年(902)阿波国板野郡田上郷戸籍(註7)に「少丁」の記載がみられるので、10世紀初頭に至るまで使用されていることが分ります。

6 大猿田遺跡1号木簡 7 いわき市小茶円遺跡木簡

 これにより、1号木簡の記載内容は、「何らかの税負担に関する文書木簡または、本遺跡内の施設における記録簡の可能性が十分に考えられ、磐城郡内の判祀郷の割り当て人数16人、その内訳がおそらく正丁(15人)と少丁1人と記載されていたのであろう。」(註8)と解釈されています。なお、「正丁」は「少丁」と同様に、兵役・課役の負担区分のために『大宝令』で制定されたもので、21歳から60歳までの男子のことです。
 大猿田遺跡から出土した木簡のなかには「判祀郷」以外にも、「玉造郷」や「白田郷」などの郷名が記載されたものがあります。これらの郷名は、先にみた『倭名類聚抄』の陸奥国磐城郡に記載のあるものです。木簡の記載内容から類推すると、磐城郡の複数にわたる郷の住民や物品を徴発し使役していることから、郡の役所に関する遺跡と考えることができます。

 このように文字資料は、多くの情報を我々に与えてくれます。また、このような遺跡に巡り合うことを祈って擱筆します。

註1:刻書土器とは、土器の器面を刻んで文字や記号などを記したものです。
註2:ヘラ書きは、焼く前の土器や瓦などに文字や記号を記したものです。
註3:木簡は古代の中央・地方の役人が連絡のためや租税の荷札などに利用した木札。
註4:木簡の記載内容は次のとおり、「判祀郷戸主生部子継正税」・「大同元年九月」大同元 十月三日」
   (削除)
   小茶円遺跡は、古代の役所に関係する場所とされています。
註5:平安時代に編集されたもので、現在の国語辞典・漢和辞典・百科事典を兼ね備えた書物。
註6:1976年 井上光貞ほか『日本思想体系 律令』岩波書店
註7:1964年 竹内理三編「188 阿波国板野郡田上郷戸籍(蜂須賀侯爵所蔵文書)」
       『平安遺文 古文書篇 第1巻』東京堂
註8:1998年 平川 南「付章7 いわき市大猿田遺跡出土木簡」『常磐自動車道遺跡調査報告11 大猿田遺
       跡』

【引用・参考文献】
・1980年 宮城県教育委員会『多賀城跡政庁跡 図録編』
・1981年 池邊 彌『和名類聚抄郡郷里驛名考證』吉川弘文館
・1991年 多賀城市埋蔵文化財調査センター『山王遺跡 第10次発掘調査概報』
・1994年 宮城県多賀城跡調査研究所『下伊場野窯跡群』
・1995年 福島県教育委員会「大船迫A遺跡」『原町火力発電所関連遺跡調査報告Ⅴ』
・1998年 福島県教育委員会『常磐自動車道遺跡調査報告11 大猿田遺跡』
・2001年 いわき市教育員会『一般国道6号バイパス遺跡発掘調査報告Ⅸ 小茶円遺跡』

  挿図については、上記の引用・参考文献に記した報告書より転載しました。

 

 

        
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