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 トップページ > 調査研究コラム > #051 土器の大きさ ―甕形土器の容量計測― (2016.11.22)

 
 このコーナーでは、職員が行った調査研究の成果について掲載しています。

#051 土器の大きさ ―甕形土器の容量計測―  神林 幸太朗

1.はじめに
 考古学において土器は最も基礎的な資料として、「年代のものさし」をつくる編年研究を中心に膨大な研究蓄積が存在する。
 近年新たな方向性として、土器の大きさや使用痕跡(スス・コゲ)といった属性に注目して、土器の機能や用途を明らかにする研究が活発に行われている。

 福島県においては、5世紀後半以降のカマド調理に関する研究が実践されている。先駆的な事例として、仲田茂司氏が煮沸用土器のカマドへの設置状況と使用痕のあり方から、カマド調理の地域性を指摘している(註1)。近年では、当財団が過去に調査した郡山市正直A遺跡や本宮市高木遺跡の資料を対象に、土器作り分けの検討や使用痕の観察結果を、実験データや調理民族誌を用いて解釈する研究が優れた成果をあげている(註2)。

 しかし、カマド導入以前の様相については実践例が認められないようである。現在筆者は基礎的な作業として、古墳時代前期(弥生時代後期末葉を含む)の煮沸用土器である甕形土器の容量計測を進めている。未だ分析中であるが現在までに得られたデータをもとに、当時の甕形土器がどのように作り分けられているか検討してみたい。

2.土器容量測定の方法
 土器の容量を計測する方法としては、①実際に土器に液体や固体を入れて計測する方法、②土器の実測図をもとに計測する方法、の2通りがある。最も理想的な方法は①である。しかし、遺跡から出土した土器は非常に脆く、一部でも欠けている部分があると計測ができないなど、制約が大きい。そこで今回は②の実測図から計測する方法を採用した。
 計測方法は、土器の内面を高さ1cmの円柱の集合体と考え、各円柱の体積の総和を土器容量とする方法である。既に多くの実践例があり、誤差も比較的少ないとされる。なお底部等が欠損している個体でも、図上で推定復元可能なものは補助線を引いて計測している。計測する位置であるが、本来なら使用痕跡をもとに、実際に内容物が入れられていた部分までを計測するのが理想的である。しかし使用痕跡が明瞭に残されている資料は必ずしも多くない。また土器に付着した使用痕跡は、廃棄される直前に付着したものであり、常に同じ位置まで内容物が入れられていたかは不明である。なので、計測は土器内面に内容物(液体)を入れることのできる最大値(底面から口縁部まで)を計測した。

図1 土器容量計測の方法

 3.甕形土器の作り分けの検討
 福島県下における古墳時代前期の遺跡のうち、26遺跡263個体の甕形土器の容量を計測した。そして大まかに、会津地域・中通り地域・浜通り地域の3地域に分けてグラフ化したのが第2図である。いずれも土器容量の小さいものから大きいものの順に値を並べている。
 まずは分布の断絶やまとまりをもとに、各地域における甕形土器の作り分けを見てみたい。

図2 福島県下における甕形土器の容量

・会津地域
 15遺跡86個体を計測した。0.48ℓ〜19.01ℓの容量分布が確認出来る。3ℓ付近と5ℓ付近に分布上の断絶が認めら
 れる。また7ℓ付近を境に個体数が激減する。

・中通り地域
 5遺跡78個体を計測した。0.41ℓ〜13.22ℓの容量分布が確認出来る。3ℓ付近に明瞭な分布の断絶が確認される。
 また8〜9ℓ付近を境に個体数が激減する。

・ 浜通り地域
 7遺跡99個体を計測した。0.54ℓ〜20.22ℓの容量分布が確認出来る。4ℓ付近に明瞭な分布の断絶が確認される。
 8〜9ℓ付近を境に個体数が激減する。

 各地域共通の特徴として、3〜4ℓ付近に明瞭な分布の断絶が確認できる。また8〜10ℓ付近から個体数が激減している事が読み取れ、ここが作り分けの指標となっている可能性が考えられる。よって福島県下の甕形土器は、小型(3〜4ℓ以下)・中型(7〜9ℓ以下)・大型(10ℓ以上)の3つのサイズに作り分けられていると判断した。ただし、会津地域では5ℓ付近にも断絶が確認でき、中型が中小型(3ℓ以上5ℓ未満)・中大型(5ℓ以上)に細分できると判断した。よって会津地域の甕形土器は、他の2地域と異なり4つのサイズに作り分けられていると判断できる。
 基本的な作り分けは各地域同じであるが中型甕の細分の有無で、浜通り・中通り地域と会津地域で差異が認められた。東北地方の古式土師器について、会津盆地は北陸の土器様式の下に成立し、その影響を受け続ける事が指摘されている。一方の太平洋側は関東の土器様式、中でも上総・下総地域の影響を受けて成立する「塩釜式」の分布圏に属する(註3)。このような土器様式の違いが、土器の作り分けにも影響しているのだろうか。「塩釜式」の成立に関わる、関東の「草刈式」の土器容量からみた作り分けは、浜通り・中通りと同じ様相を示している(註4)。北陸系については今後検討しなければならない。

4.甕形土器の作り分けが意味するもの
 このような土師器甕の作り分けは何を示しているのだろうか。今回の検討で確認された「3〜4ℓ付近を境とした小型と中型の作り分け」は、稲作が開始される弥生時代以降、各地で認められる現象である事が確認されている。こうした作り分けに関して、小林正史は「調理方法の差異」を反映すると指摘している。世界各地で稲作を行う民族の調理民族誌や、土器に付着した使用痕跡から、「小型はオカズ調理・中型は炊飯」という使い分けがされているという(註5)。
 筆者はかつて東京都下における、古墳時代前期の焼失住居の床面に残された土器を検討した。そしてほとんどの事例で、小型と中型がセットで残されている事が確認できた(註6)。福島では、この時期の焼失住居跡や床面出土の良好な一括資料は決して多くない。だが、小型と中型がセットとなる事例が確認出来る。

図3 竪穴住居跡床面出土の甕形土器

 つまり、当時の竪穴住居で使用される甕形土器は、小型と中型の組み合わせが一般的であったと考えられる。

 一方、おおよそ10ℓ以上の大型土器は、竪穴住居の床面において、他の土器とセットで残される事例がほとんど見出せない。今回の検討でも、土坑覆土からの単独で出土する事例(宮東遺跡1号B土坑)や、土坑や住居覆土から多数の土器とともに出土する事例(屋敷遺跡12号特殊遺構・落合遺跡42号土坑・折返A遺跡56号住居)など、少々特異な出土状態が認められる。これら大型の甕形土器が、煮沸具として用いられたかは、実物の観察をしていないため断言はできない。しかし、報告書の記述や掲載された写真から、外面にススの付着が確認でき、煮沸具として用いられた可能性は高いと思われる。現在の感覚からしても、10ℓ以上の大きさを持つ煮沸具は、日常的に使用されるものではない。竪穴住居で使用される甕形土器は小型と中型が一般的である。

図4 大型土器が出土した遺構

 前述した東京都下の分析では、集落と墳墓がセットとなる拠点的な遺跡で、特にサイズの大きい大型土器が確認された。また、集落のなかで飛び抜けて大きな竪穴住居跡の床面に残される事例や、住居跡と方形周溝墓から出土した大型土器の破片が遺構間接合する事例など、特殊な出土状態も認められた。
 そのような視点で福島での出土例を確認してみたい。最も大きい土器が出土した浜通り折返A遺跡は、豪族の居館が存在したと考えられる遺跡で、東海や関東の土器も発見されるなど、地域における拠点的な遺跡と考えられる。中通りの落合遺跡は、周辺に周溝墓や古墳は認められない。しかし東海系の土器や古墳に副葬されるような鉄製鍬や鋤(隣接する本飯豊遺跡から)が出土しており、沿岸部と内陸を結ぶ交通の結節点として重要な集落である事が指摘されている(註7)。会津地域については、この時期多数の周溝墓や大型古墳が築造され、周辺には集落遺跡が展開している。いずれも活発な人の交流や集住が推定される遺跡である事が確認できる。
 つまり大型の甕形土器は、集落や地域内における葬送や祭祀の際に、多人数の食事を賄うために作られた、饗宴用の土器であると考えられる。

5.おわりに
 以上、大雑把な内容であったが、現在までに得られたデータをもとに、現時点で考えている事を述べた。今後は周辺地域や前後の時期との比較も含め、検討を続けたい。なお、未だ分析途中であるため、個別の土器容量データや遺跡の一覧などは割愛した。これについてもしっかりと整理を行い、機会を得て公表できたらと思う。

【註】
⑴仲田茂司「東北・北海道における土師器甕使用方法の地域差 −5〜7世紀を中心に−」『福島考古』第39号 平
 成10年
⑵北野博司・三河風子・小此木真理「東北地方南部における古代の土鍋調理 −福島県高木遺跡出土土器の分析か
 ら−」『歴史遺産研究』第4号 平成20年
 北野博司・高橋明日香「東北地方南部における古墳時代後期の土鍋調理 −福島県正直A遺跡のスス・コゲ分析
 から−」『歴史遺産研究』第5号 平成21年
⑶青山博樹「土師器の編年 ⑦東北」『古墳時代の考古学』1 平成23年
 比田井克仁「古墳時代前期における関東土器圏の北上」『史館』第33号 平成16年
⑷神林幸太朗「千葉県草刈遺跡における土器変化の一様相」『立正考古』第52号 平成27年
⑸小林正史「スス・コゲからみた炊飯用鍋とオカズ用鍋の識別」『国立歴史民俗博物館研究報告』第137集 平
  成19年
⑹神林幸太朗「弥生時代後期〜古墳時代前期の土器容量 −竪穴住居跡に残された煮沸用土器の容量組成− 」
 『立正考古』第51号 平成26年
⑺柳沼賢治「古墳時代前期の交流と地域間関係」『福島考古』第54号 平成24年

【図の作成に使用した報告書】
・河沼郡会津坂下町教育委員会編『阿賀川地区遺跡発掘調査報告書 福島県営会津南部ほ場整備事業I』会津坂下町
 文化財調査報告書 第16集 平成2年
・福島県文化センター遺跡調査課編『東北横断自動車道遺跡調査報告 屋敷遺跡』福島県文化財調査報告書 第
 262集 平成3年
・福島県文化センター遺跡調査課編『東北横断自動車道遺跡調査報告 和泉遺跡 横沼西遺跡』 福島県文化財調
 査報告書 第263集 平成3年
・会津坂下町教育委員会編『杵ガ森古墳・稲荷塚遺跡発掘調査報告書』会津坂下町文化財調査報告書 第33集
 平成7年
・いわき市教育文化事業団編『東北横断自動車道遺跡調査報告 落合遺跡』 福島県文化財調査報告書 第309集
 平成7年
・いわき市教育文化事業団編『折返A遺跡 古代首長居館跡の調査』いわき市教育文化事業団編 第54冊 平成
 10年
・須賀川市教育委員会編『八ツ木遺跡 西館跡』須賀川市文化財調査報告 第44集 平成14年
・いわき市教育文化事業団編『折返A遺跡 菅俣B遺跡』いわき市埋蔵文化財調査報告書 第95冊 平成15年

 

 

 

        
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