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 トップページ > 調査研究コラム > #042 福島県と山形県の遺跡の違いを超えて  (2016.2.17)

 
 このコーナーでは、職員が行った調査研究の成果について掲載しています。

#042 福島県と山形県の遺跡の違いを超えて 植松 暁彦

1 はじめに
 
私が山形県から福島県の財団に出向して、半年以上が過ぎました。この間私は、平日の担当遺跡の調査の傍ら、休日には県内の様々な時代の遺跡を見て回りました。
 今回は、それらを通して感じた(驚いた)、同じ東北地方南部ながら、日本海側の山形県と太平洋側の福島県との時代ごとの大きな共通点や相違点を考えたいと思います。

2 時代ごとの遺跡の違い
 ①旧石器時代(約30,000万年前~約12,000年前頃)
 旧石器時代は、福島県も山形県も、東日本で通有の石刃技法という母岩から縦長の石器を剥ぎ取り、それを素材にナイフ形石器を作る文化圏に含まれ、主な石材は頁岩(けつがん)です。
 しかし、一般に頁岩は、東北地方の日本海側の山形県・秋田県が原産地で、太平洋側の福島県ではあまり採れないことが知られています(図①-1。秦2009)。近年調査され、山形県から最も離れた浜通り地方の南相馬市萩原遺跡では、一定の大きさの頁岩が山形県から運ばれたと考えられています(門脇2010)。石刃やナイフ形石器の大きさは山形県ともほぼ同じですが、接合石器の大きさは原産地の原石の約半分の大きさになっています(図①-2・3)。当然石は重いですから運ぶのに不便で、山形県から離れれば離れるほど、運ばれた石器も小さくなり、数が少なくなるのかもしれません。

図①-1頁岩の主要分布(秦2009)

(日本海側に多く分布します)


図①-2山形県西川町お仲間林遺跡
(原石まで戻る接合石器。長さ約33㎝)
図①-3福島県南相馬市萩原遺跡
(接合石器。長さ約12㎝)

 

 ②縄文時代(今から約4,000年前頃)
 
縄文時代は、福島県も山形県も縄文時代を通じて大きくは同じ土器文化圏で、ちょうど中間頃(中期)には両県で複式炉と呼ばれる土器や石を埋設した大形の炉跡が出現・発達します。
 しかし、その直後の中期末から後期初頭頃の福島県では、敷石住居と呼ばれる住居形態が現れます。これは竪穴住居の床面に薄い扁平な石を敷いたもので、関東・中部地方に中心があり(図②-1)、福島県が概ね北限域(図②-2・3)で、山形県は1遺跡(新潟県への荒川流域)しかありません。奥羽山脈の麓にある福島県北部の摺上ダムの調査で複数確認されたこの敷石住居(大河原2009)は、直線で約20㎞先と近い山形県には入らず、奥羽山脈を越えることなく福島県や新潟県で文化が止まってしまいました。敷石住居の性格は、未だよく分かっていませんが、受容する地域としない地域の住居以外の文化の違いから解明できるかもしれません。

←図②-1敷石住居の分布図(山本2002)

(関東地方や中部地方が中心地)

↓右図の枠部分を拡大したもの

図②-2福島県三春町柴原A遺跡
(2号住居。扁平な石が円・方形に敷かれる)

図②-3同福島市獅子内遺跡
(炉の周りだけに敷石)


 

 ③弥生時代(今から約2,000年前頃)
 
弥生時代は、福島県内の遺跡の立地と石包丁(粘板岩製)の多さに驚きました。弥生時代は、東北地方でも米作りが始まり、弥生時代初めからその痕跡が明らかな遺跡が幾つかあります。
 しかし、山形県や宮城県の弥生時代の遺跡は一般に米作りに適した平野部で確認されるのに対し(植松2014)、福島県では平野部にも遺跡はありますが、学史でも著名な弥生時代前期の伊達市(旧霊山町)根古屋遺跡、同中期の南相馬市天神沢遺跡や楢葉町天神原遺跡、同後期の土器標識遺跡である白河市天王山遺跡などは、平野部と比高差のある標高の高い山の上や山谷の中にあり不思議な感じがします。
 その他に、粘板岩という石で作られた石器類が多いことにも驚きました。福島県や宮城県など東北の太平洋岸では、山形県の頁岩とは逆に粘板岩が多く採取されます。弥生時代にはその粘板岩製の石包丁(穂刈り具)が福島県や宮城県では大変多く出土します。一方、山形県ではそれが全体に少ないのが特徴で(荒井2003)、県内遺跡ではスクレイパーと呼ばれる頁岩製石器に稲などを切った痕跡(コーングロス)が残っている例(会田他1987)があります。両県とも当時から米作りはしていたはずですが、前述の遺跡立地とも関係して興味深いところです。

図③-1石包丁の分布(荒井2003)

(太平洋岸に多く分布します)


図③-2福島県南相馬市天神沢遺跡

(粘板岩製の石包丁)


図③-3同楢葉町天神原遺跡と木戸川河口

(筆者撮影。高い山の上に
遺跡があります )

 

 ④古墳時代(今から約1,400年前頃)
 
古墳時代は、山形県や宮城県が畿内大和朝廷の墳墓とされる前方後円墳の北限域として知られ、全国的に斉一化された土器の出土からも両県も大和朝廷の傘下にあったと考えられます。
 しかし、福島県には、山形県にはない古墳時代後期~終末期の横穴墓が多数あり、その中でも装飾横穴墓の多様さに驚きました。横穴墓は、凝灰岩の崖などに細長く掘られたお墓の形態で群集しているのが特徴です。これは、宮城県や福島県、関東地方などで多数見つかっていますが、山形県ではこの墓制を受け入れることはありません。
 また特に装飾横穴墓は装飾古墳ともよばれ、被葬者を埋葬する石室内に、赤色や白色で人物や馬、三角文、渦巻き文を描いたもの(図④-1~5)で、主として浜通り地方に点在します。これは東日本では福島県や茨城県など太平洋岸側に分布し、遠く九州地方の古墳との類似性も指摘されています(白石1996)。福島県は、古墳時代中後期~飛鳥時代に関東地方と共に国造制(地元豪族・首長が現在の郡単位レベルで地方支配を行った制度)に組み込まれた地域で、組み込まれない山形県との違いなども影響しているかもしれません。

図④-1装飾古墳などの分布(白石1996)

(装飾古墳の系譜は九州にあるとの説も)


図④-2福島県南相馬市羽山横穴墓

図④-3同双葉町清戸迫横穴墓

図④-4同いわき市中田横穴墓

図④-5同泉崎村泉崎横穴墓

 

 ⑤古代(飛鳥時代・奈良時代・平安時代。約1,200年前頃)
 平安時代では、山形・秋田県は出羽国、福島・宮城・岩手・青森県は陸奥国と「国」(現在の県のようなイメージ)は分かれますが、同じ本州内陸部を近江国から陸奥・出羽国へ続く「東山道」いう行政区画でした(図⑤-1)。また、奈良時代の出羽国創建(712年)以前は山形県の一部(米沢や山形盆地)も陸奥国となっていました。 しかし、山形県に比べて、福島県では当時の「国」の下部行政区である「郡」内に、①それ以前の国造などの豪族居館と②それを埋葬した古墳(首長墓)、当時の役所である大規模な③郡衙や④郡寺、⑤生産遺跡(須恵器窯・製鉄遺跡など)がセットで分かるところがあり(辻2008)、特に③の郡衙が確定できる箇所が多いところが違うと思います。白河郡(現白河市・泉崎村)の関和久官衙遺跡群、行方郡(現南相馬市)の泉官衙遺跡群、磐城郡(現いわき市)の根岸官衙遺跡群などは著名で、これは福島県と同じ陸奥国で国府(当時の県庁)もある宮城県でも明確な地域は限られ、郡を管轄した郡司(地元の有力者)の系譜などを知る上で貴重な地域です。
 一方、山形県では、③も不明確で、郡衙に一般的な区画施設を有する遺跡はあるものの、小規模で小型の倉庫群などが立ち並ぶ遺跡が多く判然としません。これは、未発見の可能性もありますが、宮城県や福島県と比べ山形県の郡域が大きく、陸奥・出羽両国にあった遠国規定(畿内から遠いため租税を中央に納めず地元で使える法律)から郡以下(郷レベル)の租税集積場とも推測されています(植松2014)。両県を合わせて検討すれば、当時蝦夷と対峙した多様な東北地方の行政のあり方が解明できると思います。
 その他に、福島県浜通り地方では製鉄遺跡群の多様性も注目されます(能登谷1999・飯村2005)。従来東北地方は蝦夷対峙のために多賀城など「城柵」が多く造られましたが、両県は基本城柵がなく、後方支援地域だったと考えられます。従来山形県(東北日本海側北部)は、地勢的に原料の砂鉄が少なく製鉄遺跡が未確認でしたが(植松2011)、近年隣県新潟県で製鉄遺跡が発見され、今後日本海側と太平洋側の新たな「たたら」文化が描けるかもしれません。

図⑤-1奥羽の北進と製鉄(福島県1995)

(山形と福島は城柵が未発見)


図⑤-2
関和久遺跡群と下総塚古墳

(白河郡の郡衙・郡寺・
豪族居館・国造古墳)


図⑤-3山形県の官衙関連遺跡(植松2014)

(山形は小形倉庫群が特徴的)

 

 ⑥ 中世・近世(鎌倉、南北朝、室町、戦国時代・江戸時代。約700年前頃
 中世では、前半期に東北で一般に流通する甕・壺などに、①珠洲系陶器(須恵系陶器とも呼ぶ)が主体的な日本海側(山形県)と、②瓷器系陶器や世界遺産にもなった岩手県平泉からも出土する愛知県の③常滑・渥美産が主体的な太平洋側(福島県。会津大戸窯は除く)に分かれることが知られています(図⑥-1)。今回、福島県に来て各地で実際に③常滑系の陶器を拝見して、いつもと見慣れぬ陶器類に少し驚きました。また、山形県にはない、平安末期~鎌倉時代初めの福島県国見町の平泉藤原氏が築いた阿津賀志防塁もその長大さにも大変驚きました。
 他に、後半期の福島県中通り北部の伊達氏由来の城館群にも興味があります。有名な戦国武将の独眼竜伊達政宗は山形県の米沢城で誕生し、山形県では父の輝宗、祖父の稙宗に関わる遺跡も数多くあります。近年山形県では、伊達氏関連の遺跡から出土する内耳土鍋(図⑥-2:高桑2003)、伊達氏と対抗した最上氏の「最上系山城」(図⑥-3:保角2003)の研究が進んでいます。福島県の伊達氏の本拠地で名前の由来にもなった伊達市や国見町の伊達氏の城館群の様相もどのように変遷したか興味深いところです。両県は戦国時代の伊達氏・最上氏、上杉氏の東北3強の武将が鎬を削りあった地域です。その大名ごとの城館の特徴を両県で研究していければと考えています。

図⑥-1東北地方の経塚と出土甕類の種類
(八重樫2012)

(日本海側は珠洲系陶器、
太平洋側は瓷器系・常滑産)


 図⑥-2山形県米沢市荒川2遺跡
(伊達氏家紋の漆器も出土)

図⑥-3村山市牛房野館跡
(最上氏系山城)

 

3 まとめ
 
前項までに山形県と福島県の発掘調査や研究成果で分かった各時代の遺跡の共通点や相違を概観してきました。最後にこれらの特徴や変遷を整理しまとめにかえたいと思います。
 具体的には、古い順に①旧石器時代は未だ氷河期の遊動的な狩猟段階で、両県がほぼ同じ石器文化圏ながら、主に遺物(石器)の中でも原料(頁岩)が奥羽山脈を挟み東西で異なります。
 ②縄文時代・③弥生時代は、温暖化が進み定住生活が始まる段階で、狩猟具以外の土器や土偶などが出現し、祭祀など多彩な文化の広がりが大きくなった時代です。この段階は、両県とも大きくは同じ一地方の土器文化圏ですが、定住生活に伴う遺構(敷石住居)の差異や、弥生時代には遺跡(山頂遺跡)の違いも表れはじめます。なお遺構(敷石住居)の差異は、関東地方を加えた東日本に拡大し、両県が南北方向で文化の受容・非受容の現象が出現します。
 ④古墳時代は、大和朝廷の前方後円墳と共に、汎日本列島(北海道・沖縄を除く)で土器の斉一化が図られ、全国各地域の連合体が畿内勢力と結びつく段階で、両県はその北限域にあたります。東北地方南部(福島県)でも装飾横穴墓の九州地方との類似など、その差異が西日本にまで及びます。⑤古代(飛鳥・奈良・平安時代)は、古墳時代に続き、全国的に国郡制が敷かれ、両県とも律令体制(法律による全国一律支配)が貫徹された段階です。両県の差異は、飛鳥時代以前の国造制の有無、東北地方の特性(蝦夷への対応・遠国規定など)、両県の規模(郡域)、資源(砂鉄)の有無から、地域の特徴を活かした東北地方の国・郡単位で遺跡(官衙関連・製鉄遺跡)に独自の変化が生じる段階ではないかと思われます。
 ⑥中近世(鎌倉~江戸時代)は、前代の律令制が崩壊し、人々の自由な活動により海上交通などが発達し、東北日本全体で流通が活発化し、両県も含め東西に文化圏(土器組成)自体が分かれる段階です。しかし、一方で中世の多量に使用された在地産のかわらけや嗜好品の輸入陶磁器は、両県とも変わらず保持しており、生活全体では全国的に同一化された文化の段階と考えられます。なお、近世には日本海側では北前航路がさらに発達し、現在でも山形県の海側(庄内地方)では京都に似た方言が使われ、現代に通じる文化的差異といえるかもしれません。
 全体では、本項で通観した両県の相違点は、大きくは古代までは同じ文化圏ながら、最も古い段階では遺物の一部(石材)に東西方向の差異と限定的だったものが、徐々に時代が下り、定住や文化の斉一化が進むにつれ、遺構→遺跡と差異の種別が大きくなり、南北方向の差異が加わる傾向があり、中近世以降、現代にに通じる文化の東西の差が表れるようです。
 最後に、本稿をまとめる上で様々な資料提供や情報を教示して頂いた遺跡調査部の同僚の方々と共に、今後も両県の共通点や相違点を検討し、その違いの中から両県の遺跡や遺構、遺物の性格、あり方を明らかにし、調査に携わって行きたいと思います。

引用・参考文献
① 旧石器時代
・黒坂正人他1995『お仲間林遺跡発掘調査報告書』(公財)山形県埋蔵文化財センター第20集
・秦昭繁 2009「山形県の珪質頁岩石材環境」『日本考古学協会2009年度山形大会研究発表資料』日本考古学協
 会
・門脇秀典他2010『常磐自動車道遺跡調査報告59 萩原遺跡・君ケ沢B遺跡』福島県文化財調査報告書第467集
② 縄文時代
・山本暉久2002『敷石住居の研究』六一書房
・大河原勉2009「摺上川上流における縄文時代中期末~後期前葉の住居について」『研究紀要2009』福島県文化
 財センター
③ 弥生時代
・会田容弘・山田しょう1987「スクレイパーの使用痕跡」『生石2遺跡発掘調査報告書』山形県教育委員会報告
 書第117集
・荒井格 2003「東北地方出土石包丁の製作工程と石材選択」『日本考古学第15号』
・植松暁彦2014「縄文文化から弥生文化へ」『山形の縄文文化小論集』放送大学山形学習センター
④ 古墳時代
・白石太一郎1996「他地域の装飾古墳」『装飾古墳の世界』国立歴史民俗博物館
・辻秀人2008『ふくしまの古墳時代』歴史春秋社
⑤ 古代
・能登谷宣康1999「福島県内の製鉄・鍛冶遺跡の調査研究の現状」『東北地方の律令国家と鉄・鉄器生産』鉄器
 文化研究会
・飯村均 2005『律令国家の対蝦夷政策‐相馬の製鉄遺跡群』新泉社
・植松暁彦2011「山形県の古代生業」『日本考古学協会栃木大会研究資料』日本考古学協会
・植松暁彦2014「山形県の発掘調査40年史(古代編)」『山形県の発掘調査40年史』山形県うきたむ風土記の丘
 考古資料館
⑥ 中近世
・高桑登2003「奥羽南半における「伊達系遺物」の分布について」『研究紀要創刊号』(財)山形県埋蔵文化財
 センター
・保角里志2003「出羽最上・村山郡の城館編年について」『さあべい第20号』さあべい同人会
・八重樫忠郎2012「東北地方の渥美と常滑」『中世渥美・常滑焼をおってシンポジウム』日本福祉大学知多半島
 総合研究所

*なお、引用・参考文献は、頁数の都合により文中と図のみとし、写真図版は福島県教育委員会、同県立博物館発行の図録などから引用し個別は割愛する。

 

 

        
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