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 トップページ > 調査研究コラム > #040 瓦質土器風炉からみた遺跡の階層性と場―福島県内を中心に―  (2015.12.7)

 
 このコーナーでは、職員が行った調査研究の成果について掲載しています。

#040 瓦質土器風炉からみた遺跡の階層性と場―福島県内を中心に―  佐藤 俊

1.はじめに
 
瓦質土器とは瓦のような質感を持ち、表面に炭素を吸着させた瓦質焼成の土器で、煤けたような特徴とする(高桑2003)。素朴な質感に、雷文や蓮弁文、菊花文など鮮やかなスタンプ文が配され、何とも言えない魅力があるのが瓦質土器である。瓦質土器は中世後期頃の遺跡から出土し、製品は奢侈品から日常雑器にいたるまで様々な用途のものがつくられた。器種は風炉、香炉、花瓶、燭台、瓦燈、火鉢、擂鉢、鉢、鍋、甕、碗、壺などが挙げられる。この中でも瓦質土器風炉(以下風炉)は、器内に火を起した炭を置き、上部に茶釜を乗せて湯を沸かすための道具である。いわゆる「茶の湯」1)に用いられる道具であり、明応九年末(1500年)もしくは文亀元年初め(1501年)頃に成立した、往時の職人を題材とした歌合せである『七十一番職人歌合』の、「一服一銭」や「煎じ物売」(図1)に風炉の使用方法をうかがい知ることができる。風炉は現代の茶道においても必要不可欠な器種であり、風炉を用いた作法は厳密に規定されている(2007淡交編集局編)。

2.研究略史・目的
 瓦質土器全般の研究史は、高桑弘美氏が精緻にまとめている(高桑2003)ので、本稿では風炉を中心に説明していきたい。
 水澤幸一氏は越後で瓦質土器が出土する遺跡の様相に偏りがあることを示した。特に風炉は、国人領主の家臣級、寺院、国人領主級以上の遺跡で出土している(水澤1999)。
 水澤氏は 風炉をはじめとする大型器種は、地域社会の中で都市的な生活様式を具現化しうる場所、すなわち支配者階級の武家居館、有力寺院や、少数の湊町に限定されるとした。特に風炉は一般の村落でみられないことを明らかにしている(水澤2009)。
 高桑弘美氏は奥羽出土の風炉を概観し、そのほとんどが「大和系瓦質土器」2)であり、広域の流通と定形化した風炉の嗜好性を明らかにしている(高桑2003)。
 研究史が示すように、風炉は明確に遺跡の階層性と場を示す好資料といえよう。本稿では風炉が出土する福島県内の遺跡を概観し、階層性と場の検討を行っていきたい。この際、報告書上風炉としているものの、未図化、同定の根拠が明確ではない小片、鉢類などほかの器種が想定のされるものはあらかじめ除外した。

3.福島県内の様相
 福島県内において風炉が出土した遺跡は管見の及ぶ限りでは、12遺跡である(図2)。最も多いのは城館跡4遺跡、寺院跡4遺跡であり、次いで屋敷地跡が2遺跡、町跡1遺跡、墳墓跡1遺跡である。

図2 福島県内の瓦質土器風炉出土遺跡

 寺院跡では、伊達五山の筆頭東昌寺跡と推定されている茶臼山西遺跡や、伊達持宗が創建した輪王寺跡、南北朝の動乱により焼失し、伊達氏が再興した霊山寺と推定される宮脇遺跡、出土した瓦の特徴から伊達氏との関連がうかがわれる舟橋遺跡が挙げられる。城館跡では、国人領主である伊達氏の居城である梁川城跡をはじめ、懸田氏の懸田城跡、安積伊東氏の惣領家、あるいはそれに近い人物が城主であった安子島城跡が挙げられる。屋敷地跡では、三春田村氏移入以前における、有力者の屋敷地または居館跡とされる三春城跡(第2遺構面)、近世追手門前通遺跡群B地点(第4・第3遺構面)や、鬼生田館跡に付随する屋敷とされる町A遺跡が挙げられる。町跡では、奥大道とその両側に広がる町屋跡とされる荒井猫田遺跡がある。墳墓跡では大榧(おおかや)遺跡が挙げられる。伊達氏の居城である桑折西山城跡(高舘山)の南東裾に立地することから、伊達氏に関連する遺跡の可能性がある。遺物として茶臼や風炉が出土しているが、直接墳墓(葬送)と関連するかは不明である。
 福島県内では、村落遺跡からの風炉の出土はみられず、城館跡や寺院跡、地域有力者の屋敷地跡からの出土が多い。福島県内においても風炉を受容する階層は、支配者階級が主体となることが理解できた。町跡である荒井猫田遺跡は、奥大道を擁する流通の拠点であり、都市的な生活様式を具現化する場であったと捉えられる(図3~図5)。

図3 福島県内の瓦質土器風炉(1)

 

図4 福島県内の瓦質土器風炉(2)

 

図5 福島県内の瓦質土器風炉(3)

4.伊達氏と風炉
 ここで注目したいのは、風炉が出土する遺跡は梁川城跡、茶臼山西遺跡(東昌寺)、輪王寺跡、宮脇遺跡(霊山寺)、舟橋遺跡、大榧遺跡と、12遺跡中6遺跡が伊達氏と関連する遺跡であるという点である。その理由として、伊達氏と室町幕府の親密な関係性にあると考える。茶臼山西遺跡、宮脇遺跡、舟橋遺跡からは「半截(はんさい)菊花(きっか)文(もん)軒(のき)平(ひら)瓦(がわら)」が出土しており、この瓦は、足利義満が建立した京都鹿苑寺や、相国寺との類縁性が指摘されている(今野2012)。また、九代伊達政宗(大膳大夫)の夫人は、足利義満の叔母である蘭庭(らんてい)明玉(みょうぎょく)禅尼である。鈴木啓氏は蘭庭明玉禅尼を介して、将軍家との婚姻から京文化を移入していたと指摘している(鈴木2009)。このように伊達氏は、室町幕府との親密な関係性から風炉を用いた喫茶という、都市的な生活様式を享受し易い環境下にあったといえる。

5.最後に
 本稿では、福島県内の風炉を概観し、大きく2つの事象を明らかにした。 ①福島県内では研究史と同様に村落遺跡からの出土はみられず、支配者階級の城館跡、寺院跡からの出土が多い。今後、風炉以外の器種とのセット関係を精査し明確にしていくことにより、明らかな階層性が見いだせると考えらえる。 ②風炉は伊達氏と関連する遺跡からの出土が多く、この理由として伊達氏と室町幕府の親密な関係性にあることを指摘した。風炉は日本海沿岸地域での出土が多く、日本海域の流通網に乗って供給されていたことが指摘されている(水澤2005)。飯村均氏は茶臼山北遺跡(梁川城跡の南東方向の詰めの舘跡)や、梁川城跡から、珠洲焼や越前焼3)が出土していることから、北日本海域との直接的な流通の可能性を指摘している(飯村2005)。以上のことを踏まえ、予測の域を出ないが伊達氏が風炉を求めるにあたって、日本海域の流通網を用いていた可能性を指摘して本稿を閉じたい。

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 1)神津朝夫氏によれば、「茶の湯」とは、畳を敷きつめた小座敷に人々が集まり、そこに釜以下の茶道具を使
  い、目の前で点てられる茶を喫する寄合であり、なにかのついでに茶が出されるのではなく、茶を飲むことを
  中心とした寄合の形式と規定している(神津2009)。茶の湯の成立には諸説あり、本項では煩雑さを避けるた
  め、「茶の湯」を含めた茶を点て飲む行為を「喫茶」と呼称する。
 2)近江俊秀氏によれば、明らかに在地で創作されたか、もしくは模倣されたと考えられるものを除く大和出土
  のものに極めて類似する瓦質土器を「大和系瓦質土器」、大和からの搬入品を「大和産瓦質土器」としている
  (近江1997)。高桑氏は確実に大和産と認識できるものと、大和産とは確定できないが器形と技術に大和で
  出土する瓦質土器の影響が認められるものの双方を「大和系瓦質土器」として扱っている(高桑2003)。
 3)石川県珠洲市で開窯された珠洲焼や、福井県丹生郡で開窯された越前焼は日本海側に流通圏を持ち、太平洋
  側ではほとんどみられない。

 【引用・参考文献】
・網野善彦ほか 1993 『七十一番職人歌合 新撰狂歌集 古今夷曲集』新日本古典文学大系61 岩波書店
・飯村均 2005 「第4章 出土遺物」『茶臼山北遺跡…梁川城下侍屋敷跡…』梁川町文化財調査報告書第19集
 福島県伊達郡梁川町教育委員会
・近江俊秀 1997 「広域流通した中世大和の土器―大和産・大和系瓦質土器の分布について―」『中近世土器
 の基礎研究』Ⅶ 日本中世土器研究会
・淡交社編集局編 2007 『釜と炉・風炉 ―扱いと心得―』茶道具百科2
・神津朝夫 2009 『茶の湯の歴史』角川選書455 角川書店
・今野賀章 2012 「瓦が伝える文化のつながり―半截菊花文軒平瓦の検討から―」『霊山史談』第十二号 霊
 町郷土史研究会
・鈴木啓 2009 「伊達郡における伊達氏の文化」『奥羽から中世をみる』吉川弘文館
・高桑弘美 2003 「Ⅰ土器 5瓦質土器」 『中世奥羽の土器・陶磁器』 東北中世考古学会編
・高桑 登 2009 「東北の瓦質土器」 『中近世土器の基礎研究』22 日本中世土器研究会
・水澤幸一 1999 「瓦器、その城館的なるもの―北東日本の事例から―」 『帝京大学山梨文化財研究所研究
 報告』 第9集 帝京大学山梨文化財研究所
・水澤幸一 2005 「第3章 中世日本海域物流からみた地域性・境界性」『日本海域歴史体系』第三巻中世篇
 清文堂出版株式会社
・水澤幸一 2009 「瓦器の相貌」 『中近世土器の基礎研究』22 日本中世土器研究会
・桑折町史編纂委員会 1998 「3大榧遺跡 第1編考古 中世」『桑折町史』第4巻 資料編Ⅰ
・郡山市教育委員会 1993 『安子島城跡』安子島地区土地改良関連発掘調査報告書4
・郡山市教育委員会 1999 『荒井猫田遺跡- 第7次~第10次発掘調査報告書Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ 区』郡山南拠点土
 地区画整理事業関連
・郡山市教育委員会 1999 『荒井猫田遺跡- 第11 次発掘調査報告書-Ⅲ 区』郡山南拠点土地区画整理事業関連
・郡山市教育委員会 2002 『簗場遺跡・皆屋敷遺跡・町A遺跡』 阿武隈川築堤関連
・郡山市教育委員会 2004 『守山城跡』第2・3・4次調査報告
・郡山市教育委員会 2006 『荒井猫田遺跡- 第16 次発掘調査報告書-Ⅱ 区』
・伊達市教育委員会 2007 『舟橋遺跡』 伊達市埋蔵文化財調査報告書第3集
・伊達市教育委員会 2013a 『梁川城跡25次調査』 伊達市埋蔵文化財調査報告書第18集
・伊達市教育委員会 2013b 『宮脇遺跡(確認調査報告書)』 伊達市埋蔵文化財調査報告書第20集
・伊達市教育委員会 2015 『梁川城跡30次調査』 伊達市埋蔵文化財調査報告書第24集
・三春町教育委員会 1995 『近世追手門前通遺跡跡群B 地点発掘調査報告書』三春町文化財調査報告書第22集
・三春町教育委員会 2000 『三春城跡第3 次調査近世追手門前通遺跡群D 地点- 三春城下町関連遺跡発掘調査
 報告書( 平成11 年度)』三春町文化財調査報告書第26集
・梁川町教育委員会 1986 『遺跡 梁川城本丸・庭園』梁川町文化財調査報告書第6集
・梁川町教育委員会 1991 『茶臼山西遺跡・輪王寺跡- 梁川町における中世寺院の調査-』梁川町文化財調査報
 告書第14集
・梁川町教育委員会 1993 『梁川城跡Ⅲ ―北・西三の丸跡の調査―』梁川町文化財調査報告書第16集
・梁川町教育委員会 1996 『輪王寺跡Ⅱ』 梁川町文化財調査報告書第17集
・霊山町教育委員会 1989 『懸田城跡』 霊山町文化財調査報告書第8集

 

 

        
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