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 トップページ > 調査研究コラム > #030 会津盆地における奈良・平安期の井戸跡について (2015.4.20)

 
 このコーナーでは、職員が行った調査研究の成果について掲載しています。

#030 会津盆地における奈良・平安期の井戸跡について 藤谷 誠

 平成26年度の会津縦貫北道路関連の事業で、平安時代の木組み井戸跡の調査を担当した。

 本稿では、会津盆地内での奈良・平安期の井戸跡について、簡単にまとめてみたい。

1 井戸の形式と変遷
 井戸の形式については、現在までにいくつかの分類が発表されている。
 宇野は、大きく素掘り井戸、木組み井戸、石組井戸、陶器・瓦井戸に大別し、それぞれを細分し、その変遷を弥生時代~古墳時代までを素掘り井戸を基準に木組み井戸が混じり、奈良・平安時代では木組み井戸が主体となり、中世となると石組み井戸が主体となる変遷を明らかにした。

 また、鐘方はその製作方法をもとに、貼り付け式、打ち込み式、挿入式、組み立て式、積み上げ式、乱積み式に大別し、井戸は古墳時代後期に多様な様相を見せ始め、藤原京期に木組みによる井戸枠形式の多様化が生じ、奈良時代に一定の形式に収束して中世へと継続する様相が提示されている。

 また、平城京内では、篠原によって素掘り井戸、抜き取り井戸、木組井戸に大別され、木組井戸は平面形+側板組+枠どめを名称として分類されている。

 木組井戸については、まんべんなく平城京内で検出されているものの、その規模において平城宮内宮と外で明確な違いがあると指摘されている。

2 会津盆地の井戸跡
 会津盆地の奈良・平安期の井戸は、現在までに20遺跡の調査例があり、90基以上の井戸が見つかっている。
 素掘りと木組みがあり、ここでは、Ⅰ類素掘りまたは枠が抜き取られたもの、Ⅱa類木枠で井篭組を含む隅柱が使われていないもの、Ⅱb類木枠で隅柱が使われているタイプのもの、Ⅱc類木枠で曲物が使われているもの、Ⅱd類木枠で刳り抜きの材が使われているものに分類した。
 Ⅱa類とⅡb類をここでは「規格型の井戸」と仮称する。

 遺跡と各分類井戸の関係を示したのが、下表である。数的には、Ⅰ類の素掘りのタイプが一番多く、全体の約2/3を占めている。これに曲物が使われているⅡc類がの13例、隅柱を持たないⅡa類が12例、隅柱が使われているⅡb類が4例と続いている。

 これらの例を会津盆地内での位置関係でみると、会津郡衙推定地の郡山遺跡に近い会津若松市北部に、「規格型の井戸」がまとまりを持って分布していること、Ⅱc類の曲物タイプのものが、郡衙推定地周辺以外に会津盆地西部にもまとまりを持って分布していることが伺える。

会津井戸跡一覧

 井戸跡に使われる板材の加工には、ある程度の技術が必要でありその供給先には制約があったことが想定される。井戸枠に転用材を使った場合、入手先の木造建築が近隣にあることも条件の一つであったと思われる。

 また、郡衙推定地周辺は、中央と同様な規格性を持った構造物を作りやすい環境にあったものと推定される。
 「規格型の井戸」が、官衙周辺のその一部機能の代用や、在地の有力層の居住が想定される遺跡から多く検出されていることは、このような理由があったのかもしれない。

 曲物が使われた井戸跡については、曲物が、加工された木材系のものとは別な供給ルートがあり、官衙の地域的な制約から離れた場所の在地有力層にも比較的入手しやすいものであったと思われる。
 
 中世以降もこの地域で継続して作られていることも興味深い。

3 隅柱の井戸
 ところで、Ⅱb類の隅柱を用いた井戸は、昨年調査した西坂才遺跡、一昨年調査した鶴沼C遺跡の他に、会津若松市上居合遺跡、会津坂下町宮ノ北遺跡から検出されている。

隅柱のある井戸

 上居合遺跡のものは、隅柱に溝を刻み、そこに板をはめ込む横板組隅柱型の井戸枠となっている。宮ノ北遺跡のものは、縦板組隅柱横桟留型の井戸で、縦板は隅柱と横桟で区画した外に配置されている。

 隅柱を立ててそれを横桟で止めるタイプのものは、宮ノ北遺跡のような縦板組隅柱横桟留型のものが一般的で、西坂才・鶴沼C遺跡のような横板組のものは少ない。

 平城京には類例があるが、地方では類例が少なく、近似するものは、兵庫県豆腐町遺跡で検出されている。同遺跡は官衙関連の遺跡であることは大変興味深い。

 横板組隅柱横桟留型の井戸は、官衙に関連する遺跡である程度特異的に作られるものかも知れない。

4 まとめ
 会津盆地の奈良・平安時代の井戸跡には、素掘りのものと木枠組のものがあり、木枠組の中でも「規格型の井戸」は、郡衙推定地近隣で多く検出される傾向が認められた。
 その中でも西坂才遺跡と横沼C遺跡で検出された横板組隅柱横桟留の井戸跡は、類例が少なく、より官衙的な色彩が強いものであると推定される。

<引用・参考文献>
宇野隆夫 1982 「井戸考」『史林』第65巻第5号 史学研究会
篠原豊一 1990 「平城京の井戸とその祭祀」『奈良市埋蔵文化財調査研究センター紀要 1990』 奈良市教育委員会
新鶴村教育委員会 1990 『東台遺跡』
会津坂下町教育委員会 1990『阿賀川Ⅱ期地区遺跡発掘調査報告書』
会津坂下町教育委員会 1990『阿賀川地区遺跡発掘調査報告書 中西遺跡』
福島県教育委員会 1990『東北横断自動車道遺跡調査報告9 船ヶ森西遺跡 上吉田遺跡』
福島県教育委員会 1991『東北横断自動車道遺跡調査報告12 屋敷遺跡』
会津坂下町教育委員会 1993 『阿賀川Ⅱ期地区遺跡発掘調査報告書 吉原遺跡』
会津若松市教育委員会 1993 『上居合遺跡発掘調査報告書Ⅰ』
会津坂下町教育委員会 1994 『阿賀川地区遺跡調査報告書 宮ノ北遺跡』
会津坂下町教育委員会 1994 『坂下北部地区遺跡発掘調査報告書』
会津若松市教育委員会 1995 『会津総合運動公園発掘調査報告書』
会津若松市教育委員会 1996 『会津総合運動公園発掘調査概報 Ⅴ』
塩川町教育委員会 1998『塩川西部地区遺跡発掘調査報告書3 舘ノ内遺跡』
会津若松市教育委員会 1999『若松北部地区県営ほ場整備発掘調査報告書Ⅰ 矢玉遺跡』
鐘方正樹 2003 『ものが語る歴史8 井戸の考古学』 同成社
会津若松市教育委員会 2004『郡山遺跡Ⅰ』
会津若松市教育委員会 2004『屋敷遺跡』
会津若松市教育委員会 2006『金山遺跡 郡山遺跡Ⅱ』
奈良県教育委員会 2007 兵庫県文化財調査報告第322冊『姫路市豆腐町遺跡Ⅰ』
会津若松市教育委員会 2008『郡山遺跡Ⅳ』
会津若松市教育委員会 2009『郡山遺跡Ⅴ』
福島県教育委員会 2008『会津縦貫北道路遺跡発掘調査報告8 高堂太遺跡(3次)沼ノ上遺跡』
福島県教育委員会 2009『会津縦貫北道路遺跡発掘調査報告10 桜町遺跡(2次)』
福島県教育委員会 2010『会津縦貫北道路遺跡発掘調査報告11 桜町遺跡(3次)』
会津若松市教育委員会 2010『郡山遺跡Ⅵ』
福島県教育委員会 2011『会津縦貫北道路遺跡発掘調査報告12 桜町遺跡(4次)』
福島県教育委員会 2014『会津縦貫北道路遺跡発掘調査報告15 鶴沼C遺跡 西坂才遺跡』

 

 

        
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