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 トップページ > 調査研究コラム > #022 縄文時代の動物意匠把手2題‐栃木県の出土例から‐ (2015.1.26)

 
 このコーナーでは、職員が行った調査研究の成果について掲載しています。

#022 縄文時代の動物意匠把手2題‐栃木県の出土例から‐  後藤信祐

はじめに

 狩猟採集を生業とする縄文社会では、動物を文様として土器に描いたり、土製品を作るなど、人間と動物の密接な関係をうかがうことができます。

 ここで取り上げる装飾的に表現した動物の頭部を口縁部に取り付けた深鉢形土器も、その一つです。栃木県では、前期後葉と中期末から後期初頭に見られますが、ほとんどが破片で、土器全体の形が分かるものはありません。

1.前期後葉の獣面把手

 前期の獣面把手はイノシシを模したもので、縄文時代前期後葉諸磯b式のうち浮線文で文様を施す波状口縁深鉢形土器の波頂部に、外に向けて付けられています。群馬県安中市中野谷松原遺跡では150例も出土しており、群馬県西部で出現し、関東地方西部から甲信地方へ拡大すると考えられています。

写真1

群馬県中野谷松原遺跡獣面把手付き土器

(文献6より転載)

 栃木県はこの把手の分布の外縁と考えられ、県南部の栃木市藤岡神社遺跡・城山遺跡、野木町清六Ⅲ遺跡、小山市寺野東遺跡と、西部山地の日光市三依(みより)小学校敷地内遺跡で出土しています。さらに興味深いのは、東北地方でも福島県下郷町南倉沢(なぐらさわ)遺跡で3点、山形県高畠町押出(おんだし)遺跡で4点、高野原A遺跡で1点出土していることです。

 詳しくは文献1に譲りますが、黒曜石の原産地で著名な高原山の山麓の遺跡からは、三依(みより)小学校敷地内遺跡の獣面把手のほか、諸磯b式の浅鉢形土器の破片、東北系の小形異形石器・擦切磨製石斧・珪質頁岩製の縦長石匙・石箆・岩偶なども採集されています(図1)。

図1 縄文時代前期後葉の西関東と東北地方の交流ルート(文献1より転載)

 高原山は関東平野から北に向かう目標として最適な山であり(写真2)、山麓の遺跡の発掘調査資料はほとんどありませんが、採集資料から高原山麓のムラが両地域の交流の中継地点として重要な役割を果たしていたことが考えられます。特に、関東地方西部の諸磯b式文化圏と東北地方の大木・円筒土器文化圏の交流については、山王峠を越える下野街道 (会津西街道)が主要ルートであったことが想定されます。

写真2 高原山遠景

(宇都宮市方面から撮影)

 なおこの時期、地理的に隔たりのある和賀川流域を中心とした岩手県・秋田県・山形県の東北地方と、群馬県を中心とした地域から出土している類石棒(図1-19・24)についても、威信財や祭祀遺物として流通したと考えられる諸磯b式に特徴的な獣面把手や浅鉢、東北地方の押出型石匙・石槍などの搬入品や模倣品・模造品の分布から理解することが可能となります。

2.中期末~後期初頭の鳥頭形把手

 鳥頭形の把手は、東関東地方を中心に分布する縄文時代中期末の加曽利E4式とその系列の深鉢形土器に付けられます。那須塩原市槻沢遺跡の遺構出土例から、大略A~Ⅾの4類に分類され、A→B→C類の変遷が想定することができます(図2)。

図2 槻沢遺跡出土の動物意匠把手の分類(文献5より転載)

 長山明弘氏によると、これらの把手は山形県から長野県まで171遺跡374点の出土が確認されています(文献7)。栃木県では那珂川上流域を中心に60点ほど出土しており、分布の中心は八溝山地~阿武隈山地南部の東関東から福島県南東部と考えられます。一方、Ⅾ類の把手については、類例が少なく那須地方以北では出土していません。C類とほぼ同じ時期の称名寺式の深鉢形土器に付きます(写真3)。

写真3 

東京都多摩ニュータウン
№920遺跡出土の鳥頭形把手

(文献4より転載)

  A類についてはカエルやヘビにも見えますが、B・C類は嘴(くちばし)の形状からトリであり、特にC類は嘴の表現からワシやタカの猛禽類が想像されます。背部に注目すると、A・B類には環状把手、C類にはS字や8字状の隆帯を貼付するものが多く見られます。Ⅾ類の壬生町八(や)剣(つるぎ)遺跡のもの(写真3)には、背部に蛇行する粘土紐と刺突でヘビが表現されていることから、これらの土器によく見られる文様も、ヘビをデフォルメしたものかもしれません。

写真4 八剣遺跡出土の鳥頭形把手

(文献6より転載)

3.動物意匠把手付き深鉢の性格

 時期の異なるこの2種の動物意匠把手は、深鉢形土器の頂部に付く共通性はあるものの、獣面把手は4単位波頂部の全部に外向きに付き、鳥頭形把手は内向きに1個付けられています。

 獣面把手は、イノシシが一度に数頭の仔を生み生命力が強いことから、豊穣や繁栄の象徴として貼付されたと予想されますが、その広範囲な分布から、交易や流通過程において地域集団証明の威信財として作られたものとの考えもあります(文献3)。

 一方、鳥頭形把手はいずれも顔が内側に向いており、他の小波頂部を翼と考えると、内部を大事に抱き込むようにも見え(写真4)、出産や葬送に係わる儀礼の中で煮炊きに用いられた土器とも考えられます。

写真5 福島県三春町仲平遺跡鳥頭形把手付き深鉢形土器(文献7より転載)

 また、獣面および鳥頭形把手付深鉢形土器は、いずれも完形で出土することはほとんどありません。竪穴住居跡の覆土中や遺構外から散発的に出土するものが多いことから、儀礼や祭祀の過程で壊されて捨てられたものと考えられます。

おわりに

 栃木県は関東平野の最奥部に位置し、東山道・奥州街道・国道4号といつの時代も関東と東北地方を結ぶ内陸の大動脈が存在します。縄文時代についても、ここで取上げた動物意匠把手のような両地方と関連する遺構や遺物がたくさん出土しています。これらをひとつひとつ解明することにより、縄文時代の栃木県の地域性が明らかになるものと思います。

【引用参考文献】
1.海老原郁雄・後藤信祐 2010 「高原山麓の縄文石器」『氏家の歴史と文化』第9号 氏家歴史文化研究会
2.大工原豊 2008「獣面把手」『総覧 縄文土器』株式会社アム・プロモーション
3.関根愼二 2004「諸磯b式土器に付けられたイノシシ顔-装飾の意味を考える-」『研究紀要』22 財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団
4.東京都埋蔵文化財センター 2004『多摩ニュータウン遺跡―№920遺跡―』
5.栃木県教育委員会・㈶栃木県文化振興事業団 1996『槻沢遺跡Ⅲ』(『栃木県埋蔵文化財調査報告』第171集)
6.栃木県埋蔵文化財センター 2009 「特集 縄文時代の動物」『栃木県埋蔵文化財センターだよりー2009年11月号―』
7.長山明弘 2009「動物形形象突起研究の現段階‐その概要と千葉県における資料集成‐」『千葉縄文研究』第3号 千葉縄文研究会
8.福島県教育委員会・㈶福島県文化センター 1989 『三春ダム関連遺跡発掘調査報告1』(『福島県文化財調査報告書』第216集)

        
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