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 トップページ > 調査研究コラム > #013 東北地方南部における中期中葉の土偶―福島県内を中心として― (2014.10.7)

 
 このコーナーでは、職員が行った調査研究の成果について掲載しています。

#013 東北地方南部における中期中葉の土偶―福島県内を中心として― 中野 幸大

1.はじめに
 2007年の土偶研究会の発表において著者は、縄文時代中期前葉から中葉にかけての大木式土偶について論じた。そこでは、近年、国宝に指定された山形県西ノ前遺跡出土の土偶(いわゆる西ノ前タイプ)を代表とする、宮城県から山形県内に分布域の中心を持つ『西ノ前系列』と福島県全域を中心に分布する『石生前系列』との2つの系列を指摘し、そして、これらの系列は複数の型式を内包しながらそれぞれ変遷していくことを述べた。

 特に、福島県内においては縄文時代前期以降、土偶は単発的にしか製作されてこなかったが、岩手県内陸部の北上川流域の影響を受けて、中期初頭に『山中型』が発生し、それ以後『西ノ前系列』とは別路線で『音坊型』‐『七郎内型』-『石生前型』と発展・変遷したことを述べ、これらを『石生前系列』とした(中野2007)。

 しかしながら、発表時においては、分布域についてなど舌足らずな点も多く、詳細を語りきれないままとなっていた。ここでは、それらを補足する意味も込めて、特に福島県内の石生前系列を中心とした土偶の変遷や地域的な特徴について概略的に見ていき、土偶研究の足掛かりとしていきたいと思う。

2.福島県内における土偶の変遷
① 福島県内の初期土偶の存在
 福島県においては、近年浜通り地域を中心に南相馬市荻原遺跡や楢葉町上田郷Ⅵ遺跡から早期末~前期初頭と考えられる土偶が出土している(本間他2001、安田他2010)。

 また、福島市宇輪台遺跡や大熊町上平A遺跡などでも、大木1~2a・b式並行頃と考えられる土偶が出土している(丸山1993・門脇他2001)。

 これらの土偶は、単純な単脚板状土偶であり、施文法や成形技法などの特徴から系統的な変遷過程は見られない。

 おそらく、集落内で単発的に作られたものと考えられ、東北北部や中部前期中葉以降連続的に系列的に変遷する、円筒下層式土器様式の土偶や岩手県内陸部の北上川流域分布する前期大木様式の土偶の状況とは異なる。

 しかし、突如として中期初頭に入ると相馬市山中遺跡や会津三里町油田遺跡に見られるような無文地に肩部に隆帯を持つ山中型が見られるようになる(阿部2007・今野他2007)。

 福島県内においては、これ以後連綿と土偶が作られる。

② 土偶の研究および分類基準
 福島県内においての土偶研究は、山内幹夫氏により牽引されてきたと言っても過言ではない(山内1992・1994)。

 山内氏の研究は、早くから土偶の系列的変遷を意識したものであり高く評価でき、本論もおおむね山内氏の研究を基本としながら分類を試みている。

 分類基準においては、体部資料を中心に型式分類を行っている。これは土偶においては、完形品が少なく、文様を集中的に施文し情報量の多い体部の分類が最も型式分類し易いと考えたからである。

 集成した土偶は、①形態、②施文域、③文様・施文技法の三つの分類基準によって型式分類を行った。

 そしてこれらの3要素の組み合わせに加えて、それらが一定地域に分布するものを「土偶型式(タイプ)」と認定し、最も代表的な出土遺跡名を冠して呼んだ。

 そして時間的に系統立てて変遷していく複数の型式群を「土偶系列」とした(注1)。

 なお、土偶と共伴する土器様式の編年細分案については、『総覧縄文土器』の「大木7a~8b式土器」を基準としている(中野2008)。

③ 石生前系列
 石生前系列については第1図に変遷図を示した。

第1図

福島県の中期初頭から
中葉の土偶系列

 大枠で見ると、大木7a式並行の『山中型』、大木7a式末~7b式前半にかけての『音坊型』、大木7b式中段階~新段階にかけての『七郎内型』、大木8a式期の『石生前型』の4型式となる。

 山中型とした無文地を基本とする土偶から出発した石生前系列は、大木7a式末~7b式前半期に入ると土器の文様を土偶へと拝借し施文するようになる。この段階が音坊型である(2・3)。

 音坊型は山中型の無文地の胴体部分に大木7a様式新段階の土器文様を描くことで発生した型式と考えられる。

 土偶の全体像については、事例が少なく不明な点が多いが、音坊型においては、板状形の形態が主流であったと考えられる。

 そして、大木7b様式中段階に入ると音坊型は、有脚立像形土偶へと発展し、七郎内型へと変化する(5・6)。ただし、七郎内型においては立像形土偶と小形の単脚板状形土偶が並存する(9)。

 七郎内型は、分布域や遺跡からの出土量が音坊型に比べ格段に増加し、土偶型式として安定した状態になったものと考えられる。

 大木8a式期入ると、土偶に施された有節沈線を主体とする施文技法は、おおむね沈線へと置き換わり、石生前型へと発展する。このタイプは、大形の優品が多く、系列の中でも一つのピークといえる(11~15)。

 特に石生前型は、顔面の表現が豊かで、同時期の東日本の土偶を見てもこれほど人面を精巧に表現している土偶は見られず、この型式の大きな特徴といえる。

 また、西ノ前型においては、顔面の表現が円孔などで単純に表現されていることと対極的である。

 また、石生前型には、比較的小型の土偶や単脚板状型土偶などの別系列が存在する。これらのタイプの土偶は、七郎内型の段階から継続するようで、時期が下るごとに増加傾向にある(16・18)。

 次期の大木8b式期に入ると立像形土偶は、徐々に見られなくなり、それ以後の土偶型式は、この単脚板状形土偶が主流を占めるようになる(21~26)。

 これらの単脚板状土偶については、伊藤玄三・八巻正文の報告資料で報告され、また上野修一が『月崎A第1系列』・『西海渕系列』としたものが対応するものと考えられる(伊藤・八巻1968、上野1997)。

 これらの単脚板状形土偶は、中期後葉の土偶系列へと引き継がれていく。

3.石生前系列の分布域
 各型式の分布域を見てみると、初期の山中型は、会津盆地や浜通り北部などに点在する傾向がある。

 しかし、数が少なく、不明確な状況にある。今後の資料増加を待って改めて検討する必要がある。

 音坊型・七郎内型においては、分布域が福島県全域に広がる傾向にある。特に会津盆地周辺や中通り南部においては、分布の集中がみられる(第2図左)。

第2図 石生前系列と西ノ前系列の分布図

小梁川型と七郎内型の主要遺跡

1 梅ノ木 

2 嘉倉貝塚

3 糠塚貝塚 

4 長根貝塚

5 長者原貝塚

6 中河原C

7 水木田

8 西ノ前 

9 原ノ内A 

10 中ノ内A

11  小梁川 

12  台ノ上

13 月崎A

14  八景腰巻

15  羽白D 

16 原B

17 小館

18 前田

19 岡平

20 横山B

21 愛谷 

22 原瀬

23 曲木沢 

24 一ツ松 

25 七郎内C

26 ヒバラA

27 法正尻 

28 本能原 

29 大原

30 木幡

31 馬場野 

32 博毛

33 勝負沢

 34寺前

 

 

 

西ノ前型と石生前型の主要遺跡

1 中河原C 

2 岡山 

3 玉川C

4 西ノ前

5 水木田

6 原ノ内A

7 落合

8 川下響貝塚 

9 彫堂 

10 思い川B

11 高柳

12 小梁川

13 台ノ上 

14 月崎A

15 原瀬 

16 前田 

17 沖田

18 南沢 

19 山王館

20 妙音寺 

21 連郷 

22 ヒバラA 

23 法正尻

24 本能原

25 博毛 

26 上小島C 

27 小屋田 

28 石生前

 

 

 

 これらは、大木7b式期の福島県南部を中心に分布している七郎内Ⅱ群土器とされる、地域色の強い土器群の分布域と重なり、注意する必要がある。

 また、県外においても類例が見られ、山形県米沢市台ノ上遺跡においても出土している。

 石生前型の分布域は、基本的には七郎内型の分布域と重なる。会津盆地周辺や福島盆地から郡山盆地周辺を中心とした中通り北部に多くみられる(第2図右)。

 会津盆地から阿賀野川を下って新潟方面に分布が広がるものと予測されるが、良好な資料に恵まれず不明確である。

4.福島県内への西ノ前系列の分布と影響関係
① 福島県内に見られる西ノ前系列
 福島県内においては、中通りの福島盆地や郡山盆地や浜通り北部を中心としながら、西ノ前系列の各タイプが分布している(第3図)。

第3図 福島県内出土の西ノ前系列
と影響を受けた土偶

 小梁川型の出土する遺跡は、代表的なもので磐梯町法正尻遺跡(1)、福島市月崎A遺跡(2・3)・大平後関遺跡SK22(5)、飯館村羽白D遺跡、南相馬市原B遺跡(8)などがあげられる。

 西ノ前型の出土する遺跡は、郡山市曲木沢遺跡、二本松市堂平遺跡(9)などが挙げられる。

 福島県内に西ノ前系列は、1・3のように胸部や臀部の形態、背面の背中線・施文技法など、小梁川型の特徴を備え、小梁川型そのものといえる。西ノ前型においても9のように原ノ内A遺跡(第1図-20)の資料に近いものがある。

 おそらく、これは、福島県北部においては、西ノ前系列の分布域に入っているためであり、仙台湾岸地域や米沢盆地などから交流などを通して制作技法が正確に伝えられていたと考えられる。

② 西ノ前系列と石生前系列との折衷様式の土偶
 福島県内においては、西ノ前系列と石生前系列の狭間の土偶の存在が指摘できる。

 例えば、小梁川・西ノ前型の特徴は、長脚に出尻形の臀部・背中線であるが、中通り・浜通り北部を中心に単脚のものや扁平な臀部のタイプが見られる(図3-2・5)。

 または、臀部への渦巻きなどの集中的な施文が見られず、背中線も見られない、小梁川・七郎内型とどちらとも言えないタイプもある(図3-6・7)。

 このような合いの子としての土偶の存在は、福島県内に二つの土偶系列が併存していることにおいて見られる特異な現象と考えられる。

5.まとめ
 これまで、福島県内を中心に中期大木式期の土偶について概略を見てきた。特に福島県内では、西ノ前系列と別に石生前系列が並存して存在することを指摘した。

 以前著者は、当該期の土器の地域相について若干触れたことがある(中野2008)。今回指摘した、東北地方南部の2つの土偶系列は、以前指摘した大木7b~8a様式土器の大枠での地域相の境界線とも一致していると考えられる。

 特に顕著なのは、大木7b式期における、隆帯による対孤線文や渦巻き文を縄圧痕に沿わせる文様を主体とする、仙台湾岸系の土器群の分布域に西ノ前系列が分布し、一方福島県域では、いわゆる七郎内Ⅱ群とされる有節沈線で施文する土器群の分布域に石生前系列が分布する。

 仙台湾岸を中心に分布する土器群が、阿武隈川を遡って、二本松や郡山盆地周辺に入る状況と西ノ前系列の入り方は、共通している。

 土器様式の分布域と土偶様式の分布域が重なることは当時の地域社会や文化交流を考える上で注意してみていく必要がある。


 最後に今後の展望を述べて結びとしたい。

 今回は、詳細な土偶の成形技法について述べることができなかった。

 特に西ノ前系列と石生前系列の体部の成形技法の違いや地域相の把握はまだまだ不充分である。今後さらに基礎的な分析を継続的に進めていかなければならないと思う。

 さらにこの基本的な分析を行った上で初めて、本当の土偶論が語れるようになると思う。日を別にして、『西ノ前系列』および『石生前系列』の土偶について改めて論じたいと思う。

(注1)原田昌幸は、「土偶型式」の上位概念として「土偶様式」、谷口康浩は、「土偶伝統」を提示している(原田1995、谷口1998)。ここで言う土偶系統や土偶様式は、原田の概念に沿っている。また「土器様式」は小林達雄の概念による(1977・1989)。
 なお、本論は、2010年3月13日~14日に栃木県で開催された、第7回土偶研究会 栃木県大会で発表した内容をホームページ用に再構成したものです。

参考文献
目黒吉明他 1964『福島県史』第6巻 考古資料編
伊藤玄三・八巻正文 1968「福島市月崎遺跡出土の土偶」『考古学雑誌』第53巻第4号
小林達雄 1979 『縄文土器Ⅰ 日本の原始美術1』講談社
芳賀英一 1982「福島県出土先史時代土偶の集成(1)」『福島考古23』
山内幹夫 1992 「福島県の土偶」『国立歴史民俗博物館研究報告第37集』
藤沼邦彦 1992 「宮城県の土偶」『国立歴史民俗博物館研究報告第37集』
富樫泰時・武藤祐浩 1992 「秋田県の土偶」『国立歴史民俗博物館研究報告第37集』
瓦吹堅 1992 「茨城県の土偶」『国立歴史民俗博物館研究報告第37集』
阿部昭彦1996「中期大木式期の様相」『中部高地をとりまく中期土偶 シンポジウム発表要旨』
池田晃一 瓦吹堅1996「阿玉台式期の様相」『中部高地をとりまく中期土偶 シンポジウム発表要旨』
上野修一 1997 「東北地方における縄文時代中期後葉から後期初頭の土偶について」『土偶研究の地平1』
原田昌幸 1997「発生・出現期の土偶総論」『土偶研究の地平1』
熊谷常正1997「岩手県の土偶」『土偶研究の地平1』
谷口康浩 1998「土偶型式の系統と土器様式」『土偶研究の地平2』
池田晃一 1998「阿玉台式期の土偶の様相」『土偶研究の地平2』
阿部昭彦 1998「中期大木式期の様相」『土偶研究の地平2』
近藤悟・阿部博志 2000「大木式土器分布圏の土偶について」『土偶研究の地平3』
鈴木克彦 2000「大木系(土器)文化の土偶研究」『土偶研究の地平3』
近藤悟・阿部博志 2000「大木式土器分布圏の土偶について」『土偶研究の地平2』
中野幸大2008「東北地方南部地域における縄文中期初頭から中葉の土偶」
中野幸大2008「大木7a~8b式土器」『総覧縄文土器』

報告書
目黒吉明1964『福島県史 第6巻 考古資料編』福島県教育委員会
渡辺一雄他1975「上原A遺跡」「八景腰巻遺跡」『東北自動車道遺跡調査報告』福島県教育委員会
松本茂他1984「七郎内C遺跡」『母畑地区遺跡発掘調査報告Ⅹ』 福島県教育委員会・(財)福島県文化センター
鈴鹿良一他1984「上ノ台A遺跡(第1次)」『真野ダム関連遺跡発掘調査報告Ⅴ』福島県教育委員会・(財)福島県文化センター
古川利意1985『博毛遺跡』耶麻郡高郷村教育委員会
吉田博行1987『勝負沢遺跡』 会津坂下町教育委員会
藤谷誠他1989「桑名邸遺跡(第1次)」『矢吹地区遺跡発掘調査報告4』福島県教育委員会・(財)福島県文化センター
福島雅儀他1989「柴原A遺跡(第1次)」『三春ダム関連遺跡発掘調査報告2』福島県教育委員会・(財)福島県文化センター
大平好一他1989「桑名邸遺跡(第2次)」『矢吹地区遺跡発掘調査報告6』 福島県教育委員会・(財)福島県文化センター
木本元治1987『沖田遺跡発掘調査概報』船引町教育委員会
鈴鹿良一他1987「羽白D遺跡(第1次)」『真野ダム関連遺跡発掘調査報告Ⅹ』福島県教育委員会・(財)福島県文化センター
鈴木良一他1989「羽白C遺跡(第2次)」『真野ダム関連遺跡発掘調査報告ⅩⅢ』福島県教育委員会・(財)福島県文化センター
長尾修他1991『石生前遺跡発掘調査報告書』柳津町教育委員会
松本茂他1991「法正尻遺跡」『東北横断自動車道遺跡調査報告11』 福島県教育委員会(財)福島県文化センター
伊藤源三1992「会津田島 寺前遺跡」田島町教育委員会
梁川町史編纂委員会1993「林正寺遺跡」『梁川町史第4巻』梁川町教育委員会
丸山泰徳他1993『宇輪台遺跡』福島市埋蔵文化財報告書第58集 福島市教育委員会
原充広他1994『月崎A遺跡(第7~9・11~13次調査)』福島市教育委員会(財)福島市振興公社
原充広他1994『月崎A遺跡(第10・15・17・19次調査)』福島市教育委員会(財)福島市振興公社
猪狩英究他1995『大平・後関遺跡』福島市教育委員会・(財)福島市振興公社
山田廣 1995『古舘遺跡』大熊町教育委員会
吉田博行1997『大村新田遺跡』 会津坂下町教育委員会
中島雄一他1997「妙音寺遺跡(第2次)」『郡山東部19』 郡山市教育委員会・(財)郡山市埋蔵文化財発掘調査事業団
原充広他1997『月崎A遺跡(第6・16・18~26次調査)』福島市教育委員会・(財)福島市振興公社
押山雄三他1997『一ツ松遺跡』福島県郡山市建設部・郡山市教育委員会・(財)郡山市埋蔵文化財発掘調査事業団
戸田有二1998『堂平遺跡』福島県県北農地事務所・安達町教育委員会
長尾修1998「上小島C遺跡」『西会津町史別巻2』西会津町教育委員会
桑折町史編纂委員会1999「林泉寺前遺跡」『桑折町史第4巻』桑折町教育委員会
本間宏他1999「上田郷Ⅵ遺跡(1次)」『常磐自動車道遺跡調査報告18』福島県埋蔵文化財報告書第375集 福島県教育委員会
猪狩忠雄他2001『横山B遺跡』いわき市教育委員会・日本道路公団・(財)いわき市教育文化事業団
石田明夫他2001『本能原遺跡』福島県県会津農林事務所・会津若松市教育委員会
木幡成雄他2002「連郷遺跡」『一般国道6号久ノ浜バイパス埋蔵文化財調査報告書Ⅳ』
いわき市教育委員会・(財)いわき市教育文化事業団
門脇秀典2003「上平A遺跡(1次)」『常磐自動車道遺跡調査報告37』福島県埋蔵文化財報告書第414集 ・福島県教育委員会
逸見克巳2006『前田遺跡』田村市教育委員会
今野徹他2007「山中B遺跡」『相馬バイパス遺跡発掘調査報告Ⅵ』福島県教育委員会・(財)福島県文化振興事業団
阿部健太郎2007「油田遺跡」福島県会津農林事務所・会津美里町教育委員会
國井秀紀他2008「原B遺跡」『常磐自動車道遺跡調査報告46』福島県埋蔵文化財報告書第441集・ 福島県教育委員会
安田稔他2010「荻原遺跡(3・4次調査)」『常磐自動車道遺跡調査報告59』福島県埋蔵文化財報告書第467集 
福島県教育委員会

        
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